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「僕が生まれた時のこと」
https://www.youtube.com/watch?v=bK1nHsZlul0
この歌は 「父母恩重経」をもとにつくられたそうです

「仏説・父母恩重経」
私は17歳の時 このお経に出会いました
一晩寝ずに 泣きながらこのお経を写しました

障子紙に筆で書き 
お菓子の箱を切って表紙にしたそのお経本は
いつのまにか私の手元から消えて
どういうわけか 何十年もたってから
3歳で別れた母が亡くなったときに
母の家の仏壇から出てきたといって
私の手に戻ってきました
写した日付けと名前が書いてあったからです

両親との生活の記憶がほとんどない17歳の私が
どんな思いでこれを写したのか
それを母がどんな思いで 手にして読んだのか・・・

17歳 私が死のうと考えるのをやめた年です

ネットで原文を読んでみてください
「仏説・父母恩重経」全巻
「仏説・父母恩重経」現代語訳
https://true-buddhism.com/sutra/fubo/

その頃はまだ現代語訳などありませんでしたから 
もちろん私が手にしたお経本は原文のままでした

それに感動できたのは 私は小学生になる前から 
レ点のついた漢文を読んでいたからだと思います

父の田舎に預けられた4~5歳の頃 
夜は田んぼの中に残された農家の空き家に
一人で寝なければならない時期がありました

小球(こだま)の裸電球がひとつぶらさがった広い部屋で 
聞こえてくるのは水を張った田んぼのカエルの鳴き声ばかり・・
さびしくて最初は知っている限りの歌を歌いながら眠ったのを覚えています

ある日 私は家の裏にたくさんの本が
縄で縛られて放置されているのを見つけました♪
実は私は もっと小さい頃 から字が読めたのです
預かってもらっていたところで教わったのか
父や母が教えてくれたものか 覚えがありません

見つけたほんの束が学校の教科書であることを
知っていたかどうかも覚えていませんが 
縄の間から読めそうな本を1冊ずつ引っ張り出して 
自然に1年生 2年生・・と進んだのでしょう
小学校に上がる頃には 
中学の教科書を読んでいたのだと思います


どんなことも 次の出来事のための準備
悪いことなんてなんにもない
みんなあとの役に立つ

おとなになるまで そして歳をとるまで
私の人生は 「辛かったことがすべて次の準備」のくりかえしでした

「あなたの準備ができたから その事が起きているのよ」

と私が言うのは 
この「父母恩重経」から始まる私の人生で得た教訓です







寒い立春を過ぎて
「明日は大寒波」だと
昨日の夜まで言われていたけれど

起きてみたら
穏やかな暖かい 洗濯日和♪

久しぶりにベランダの掃き出しの窓を開けて
植物や部屋に風を入れる

反対側の部屋の窓の通風口を全開にして
レースのカーテンが
かすかに揺れているのを見るのが好き

ふうわり ふうわり

何時間でも見ていられる
至福のとき

きょうの音楽は モーツァルト

生活の中の瞑想時間・・・


おっと!
そろそろ息子のお昼の時間
息子は なにやら怒っていたけれど
お気にいりの割烹着で
なにか作りましょ♪

春近し
季節の変わり目は
落ち着かずイライラもするでしょう

そうだ♪ ロールキャベツ!
それにしよ♪













(持病をもちながら、お母様の介護をすばらしくやりつつ、なおかつボランティアまでやってのけている敬愛なるMさんへの 朝3時に打ち始めたメール)

。。。❤️。。。

オオ!おめでとう❤️

文武両道 すばらしいね~

どの子もみんな、ひとりひとり自慢の孫ですね~❤️


Mちゃん、
元気でいることがご褒美だね。

息子の世話ができることがご褒美だったと実感したよ。

倒れたら、おいしいものも、楽しい旅も、孫の祝いも喜べない。

させてもらえるうちが花。

点滴越しに見る富士山に教わりました。

寝ていたら違って見えるだろう?って。

助けてもらう側になってみたら、助けてくれる人がそれだけでまぶしい。

けれど、助けられている私が、この人に「助ける」という経験をさせていること。

私がこうであることも意味があり、どちらも大きな愛で、この経験をさせ合っているということ。

いろんなタイプの看護師さんがいて、この人は今日はこれで精一杯、とながめると、全部自分が通ってきた道を確認しているようで、ああ、私も一生懸命生きてきたなぁ、と何度もしみじみしたことでした。

身体あっての物だね♪少し元気でいると忘れがち。

あなたの驚くほどのポジティブさと感謝の毎日に、毎回教えられながら来ました。

お二人に出会えてから、お二人の生き様を手本にしています。

もういちど、もう少し時間をいただいたので、それをもう一度かみしめながら生きてみようと思います。

世の中が変わるのに、まだもう少し時間がかかり、もう少し私のお役目も残っているといることかもしれません。

それにしても、この星は大きく梶をきりました。
新しい考え方、今までとは違う選択で、歩み始めるでしょう!

そして、変化と共に私のここでの残り時間は少なくなっていくのでしょう。

「お役御免」の時に、無事「事切れる」まで、日々の時間を大切に、また生き直してみようと、

目を覚ましたので、心づもりを送ってみました。

また、夜が明けます。

新しい朝です。

昨日までの苦しみは、記憶に過ぎません。

明日からの心配は、予想にすぎません。

頭を記憶や予想でいっぱいにして、「今」を味あわないのはもったいない、と再確認。

新しい1日を、始めよう

そんな気持ちを思い出せるほど、回復してきました。

すべてに 感謝❤️

Mちゃん、ありがとう




おはようございます

今朝 5時の
朝焼けの富士です

愛鷹連山も朝焼けで
美しいです

1週間の高熱で古い細胞が焼かれ

突然に熱が下がったものの
体力追いつかず

点滴入院となって
6日目の朝です

最初の二晩は
吐き気の拷問を受けましたが

おかげさまで
三日目から日増しに
足元もしっかりしてきて
スマホも持てるようになり

強制的なダイエットにも成功して

おまけに
昨日 富士山が見える部屋に移していただけて

ベッドから
この富士山です

しみじみと

しみじみと

心から

皆様に

感謝申し上げます

たくさんの励ましの言葉を
ありがとうございました

たくさんのお手伝いを
ありがとうございました

皆さんの支えで
復活いたしました

後はもう少し食べられるようになれば
点滴も止まって
退院できるでしょう

生まれて75年目の
メンテナンスでした

ありがたいことでした

すべてに

感謝いたします❤️









皆様 こんにちは~❤️
原画展のまっただ中だというのに
先週からの体調不良

せっかく来て下さったのに
お会いできなくて
本当にごめんなさい

こんなの 初めてです

なにせ 後期高齢者の看板をあげているので
皆様のご心配もいただきものも
いっぱいで
それもまた私を支えてくれる力になっています♪ありがとうございます。

ろくに寝ない時期は数多くありましたが
こんなに眠れるなんて
一生分をペイしていくのではないかとそんな気がしています。

明後日にはいよいよ往診をお願いしようかと。
昔の映画でしか見たことがない「往診」
これを経験してみます♪

さて、皆さん、お願いです

4週のうちの半分を私は休ませていだたくことになって、誠に申し訳ありませんが、慣れているスタッフの皆さんにすっかりお任せしているので私は安心して眠っていられます。

ただ、あんまり寂しいとスタッフの皆さんもテンションが下がるでしょうから、明日から三日間は大いに賑やかに来られて下さい。

私がお迎えできないお詫びに
明日からの3日間で新規お買い上げ下さった原画はすべて10%引きにいたします。

またモリスに
一本締めのかけ声が響くのを想像しながら
もう少し養生いたします

細胞が新しくなり
また新たなおかざわゆめことして復活して参りますので
もう少しお時間を下さい

どうぞ最後の週も
よろしく~❤️




ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


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