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(ある方からの質問)
お聞きしたい事があります。
今生の人生は「貧しい生活を送る」と言う選択をしていたとしたら、
裕福にはなれないのでしょうか?


(私からの返信)

私はいま こんなふうに思っています。

◎もしも「貧しい生活」を味わいたくて、
それを選択してきたと思うのならば、
そしてその選択を変えたいと思うのならば、
いつでも変えればいいじゃないですか(*^^*)
選択は、いつでも変えられるのですよ。

「もう【貧しい生活】は、じゅうぶんにあじわいましたから、
選択を変えます。これからは豊かな生活をあじわいます。」と。

ただし、「豊かさを受け取る価値がある自分」を
認めておく必要がありますね。
自分を卑下したり、バカにしたり、
いじめたり、責めたりしていませんか?

求めているものが1mの大きさだとして、
自分の価値を30cmしか認めていなければ、
サンタさんは、30cmの煙突に、
1mのギフトは入れられないのです。

自分がどれだけ受け取る価値があるかは、自分が決めています。
自分が大好きで自信があるひとは、それにふさわしいだけ、
自分を低く見ている人は、それに見合ったものを受け取るでしょう。


自分の思いや考え方が信念となって
現実を創っています。

自分が発している言葉を、録音して聞いてみるのもいいですね。
自分が気づいていない信念や、自分への評価が見えてきます。
そして、現実がその信念と言葉どおりになっていることに気づくでしょう。
信念の変え方については、またお話しましょうね。



さらに、「豊かさ」という言葉を、
具体的にして提示する必要があります。

お金なら、金額を、期日を、
家なら、どこに、どんな、どれくらいの・・
明確なビジョンと数字で表す必要がありますね。

宇宙には「もう少し」「もっと」「たくさん」というような言葉は、
通用しないようですよ。^_^b



◎もうひとつは、
今生は3次元の最終章(4次元序章)なので、
これまでの生のバランスをとる・・どちらも味わうという意味で、
豊かさは経験したけれど、貧しさは経験していない人が、
経験していないものを選択するということはあると思います。

人生の目的は「しあわせに生きること」ですから、
「貧しい生活」を目的にすることはないでしょう。
ただ、より「豊かさ」を味わうために、
貧しさを経験するというということはあるでしょうね。

闇を経験したひとは、
誰よりも光を味わうでしょう。
うす暗がりより、真っ暗な闇のほうが、
ローソクの灯りは明るく感じるでしょう。

光の中では、光は見えないのです。

生まれたときから、お金持ちに生まれたら、
それは「あたりまえ」のことであって、
豊かさを感じることは出来ないでしょう。

貧しい家に生まれたひとのほうが、
同じ1万円がもたらす喜びが大きいでしょう。

「無い」ひとは、たくさんの「有る」を味わうでしょう。
貧しい人こそが、豊かさを味わえるひとなのですよ。

お金があることと、豊かさは別物です。

「無い」と感じるのは、そのもの以外は「有る」からです。
「有る」ことを知るためには、何かが欠けている必要があります。

真っ白な紙は、「白で満たされている」→「完璧に白が有る」という状態です。
が、白以外のものがなかったら・・すべて白一色だったら・・何もないのと同じです。
それが「完璧な有は、無に等しい」というカレンダーの言葉です。

何かが有って 何かが無いので、「無い」と感じる。
もし、無い方を見るのではなく、有る方を見たら・・

与えられている方を感じられるひとを、
「豊かなひと」というのだと思いますよ。


幸せは、どれほど持っているかとは無関係です。

どれだけ持っていても、まだ足りない、
これを失ったらどうしよう、もっと、もっと欲しい、と、
有るのに無いほうばかりを考える人は、ずっと貧しいのです。

持っているものは少なくても、 
有るものに目を向けて、感謝で生きているひとは、
どんな状態でも 有る世界に生きるでしょう。

目標は「幸せに生きる」ことで、
お金持ちになることは、その「手段」のひとつにすぎません。


幸せだと感じるための「手段」は、人それぞれたくさんあります。。
ある人はお金持ちになることであり、ある人は結婚だったり、
大学合格だったり、子どもを持つことだったり・・。

それらの「手段」を、「目的」にしてしまうと苦しいのです。
お金持ちになれなかったり、結婚できなかったり、
入試に落ちたりしたら、絶望的に苦しいでしょう。

でも、お金持ちでなくても、幸せに生きているひとはたくさんいます。
大学にいかなくても幸せな人はいっぱいいるし、
結婚しなくても、子どもを持たなくても、
しあわせに暮らしているひとは いくらでもいます。

「手段」は変えられるのです。
「目的」を「幸せに生きること」から、ぶれないようにすることです。

苦しいときというのは、
手段を目的にしていないか確認するための、
ずれてしまった方向を転換するための立ち止まりです。

私は52歳でお勤めという仕事をやめました。
職場のみんなが、この歳では再就職はむずかしいだろうと
心配してくれました。
ところが私は
「違う手段で幸せに生きるときなのだ!
 失った仕事はたったのひとつ。 
 それ以外のすべての仕事を得た!
 さあ!なにが始まるのだろう?」
と思ってワクワクしたのです。

そのあとどうなったかというと、お勤めをしなくても
「現物支給」というやりかたで、宇宙は私を生かしてくれました。

驚いたことに、ある朝突然、玄関の外に人が並ぶようになり、
来た人の病気が治っていくようなことが始まりました。
私は何もしていません。
ただ、勝手に私の家で座ったり寝たりしていくだけです。

そういう人たちが、家で採れた野菜やお米を持ってくるようになって、
それをみんなで分かち合って食べているうちに、
食べた人がまたラーメンやらスパゲティやらを持ってくる・・
という現物支給の循環が始まったのです。


いまの私がどんな考え方で暮らしているかをお伝えするために、
43歳の息子の話をします。
彼は12~3年位ほとんど寝ていて、着替えもしません。
タバコは月に10カートン(100箱)必要とします。
(それが必要だということを、私は経験して知っています。)
コーヒーは朝晩1リットルずつ沸かしています。

この状態を知っているある人は、
「息子さんが働かないで、お金がかかって大変ね。」
と、言ってくれました。

でもね、私はいつもこう言うのです。
「彼は病気だけれど自宅にいるから、それは【入院費を稼いでいる】ことでしょ?」って。
入院していたら、もっとお金がかかります。(*´∀`)
しかも、どこかが痛いと言って私を心配させるようなこともありません。

そして彼は、ただ寝ているだけで、
どれだけ私を学ばせてくれていることでしょうか。

「働くあなただったら好きなのに・・」
「自分で自分のことができたらいいのに・・」と、
いつも「私の希望の条件付き」で、良い悪いを決めていた私の、
すべての条件をはずしてくれました。

彼が、目を閉じたまま返事をしなくなった時、
「この身体があたたかいだけでいい、他には何も望まない・・」と思いました。
・・これは子どもが生まれる前の私の祈りでもありました。

無事に生まれてくれさえしたら・・と祈ったのに、
生まれてみたら望み放題‥どんどん条件を付けていく・・(*^^*)

彼は身をもって「無条件に愛する」ということを教えてくれました。
彼が何をしても、何もしなくても、
あるがままの彼を受け入れて そのままでよしとする・・

働いているなら、楽しく働いていて欲しい、
結婚しているなら、幸せに暮らしていて欲しいのと同じように、
寝ているならば、安心して寝ていてほしい・・
それが願いですが、もし、安心していない・・というのであれば、
それもまた受け入れて、共に生きるだけです。

こうなったら幸せなのになぁ、こうでなければ幸せじゃない、と
私たちは幸せにも条件付けをしています。

「病気が治ったらいいのに。働けるようになったらいいのに。」
という条件付けがなくなったら、
いろんなことが、どちらでもよくなりました。

なんでもどうでも どちらでも幸せでいられることが、
彼が私に与えてくれた豊かさです。

息子は、私のずっと先を行くトレーナーだと思っています。
私は生きている間に、彼に追いつけるだろうか・・と思うくらい
彼の魂を尊敬していますよ。
彼の生活費は、私が健康であることで補われています。

健康であるだけで、どれだけ裕福か考えたことがありますか?
きょうもどこも痛くない・・体がちゃんと機能してくれるだけで、
おしっこがでるだけで、まず、病院に行く治療費を稼いでいるのと同じです。

もし私が大金持ちで、目が見えなかったら、
たとえ5分だけでも、片目だけでも目が開いて、
可愛いわが子の顔が見られるなら、愛する人の顔を見られるなら、
1億円払っても惜しくないと思うでしょう。

毎日、両目が開いて見えている私たちは、5分で2億円です。(*^^*)b
それが何十年も見えているのですから、目だけでも宇宙単位の金持ちです。

見えて、話せて、食べられて、歩けて、おしっこウンチがちゃんと出るなら、
そうでない人に比べて、どれだけ裕福でしょうか。
あたりまえに生きているだけで、
ものすごい財産を持ち歩いているということです。

「貧しい」というのは、
「持っているものに気づかない」ということです。


20年以上前に、私も福岡の護国神社の境内のお稲荷さんで手を合わせて、
「そろそろ私にもお金をください。」と祈ったことがありました。(*^^*)

その時 豊受大神(とようけのおおかみ)様から、
「こんなに与えているではありませんか。
 ひとは、無い方にばかり目を向けて、
 あれが足りない、これが不足だと言うけれど、
 もしも、与えられているものに目を向けて感謝するなら、
 いくらでもさしあげましょう。」と、言われました(*^^*)

私たち、同じ道を通っていますね。(^o^)

きっと だいじょうぶ。

うまくいかないはずが ありません。













ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


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