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昨夜は娘の家に泊めてもらいました
娘の旦那サマが泊まりの仕事だったので
急きょの出動
きのう紹介した「日本人がまた韓国でハグ・・・」の動画を何度も見て
何度見ても感動して・・・そんな気持ちで娘の家へ・・
突然 「ね ハグしよう!」 という私に
娘 「あ そうなの?」 と ふたりで ハグ・・・
娘と ハグしたの 初めてじゃないか・・・
ハグしながら おもわず 私
「よくがんばってきたね」 なんて言ってた
見ていた孫のそらが
ニコニコしながら加わってきた
ギュッ ギュ~
今朝起きたら そらがまた言う
「また二人で ギュッてして 」
なので またギュッと ハグ・・・
そんな 終戦記念日でした
娘の旦那サマが泊まりの仕事だったので
急きょの出動
きのう紹介した「日本人がまた韓国でハグ・・・」の動画を何度も見て
何度見ても感動して・・・そんな気持ちで娘の家へ・・
突然 「ね ハグしよう!」 という私に
娘 「あ そうなの?」 と ふたりで ハグ・・・
娘と ハグしたの 初めてじゃないか・・・
ハグしながら おもわず 私
「よくがんばってきたね」 なんて言ってた
見ていた孫のそらが
ニコニコしながら加わってきた
ギュッ ギュ~
今朝起きたら そらがまた言う
「また二人で ギュッてして 」
なので またギュッと ハグ・・・
そんな 終戦記念日でした
うれしくて・・ 涙が止まらな~い・・(T_T)
軍事力 核を持つことより
こういう行動が 抑止力になる
まず まわりにいる
怒っている人
イライラしてる人
さびしい人
忙しくてたまらない人と ハグしよう!
家族ひとりひとりと ハグしよう!
日本人が再び韓国でフリーハグをしてみた・・2013年
http://www.youtube.com/watch?v=vbAZ_hbY7EU
(CMをスキップして見てね。携帯で見られないかた、ごめんなさい。)
国会議員が 議事堂の中でみんな ハグ!ハグ!ハグ!
そしたら この国は いっぺんに変わるね~
家庭だって 会社だって
隣近所だって 変わるね~
誰かに期待してないで
今日から 初めてみようか!
(Yちゃんへの返信)
何かの時には
私は これを言った自分を好きかな?
これをした自分を好きでいられるかな?
と聞いてみるの
自分を好きでいられたら
100人に責められても
自分まで自分を責めなくてすむの
100人に責められるより
自分に許されないことのほうが
ずっと つらいよ
嫌いな自分のことは
みんなと一緒に
いじめるでしょ?
いえ みんなよりもっとひどく
いじめるでしょ?
好きな自分なら
守ってやれるの
自分を好きでいられるように生きてたら
だいじょうぶなのよ
何かの時には
私は これを言った自分を好きかな?
これをした自分を好きでいられるかな?
と聞いてみるの
自分を好きでいられたら
100人に責められても
自分まで自分を責めなくてすむの
100人に責められるより
自分に許されないことのほうが
ずっと つらいよ
嫌いな自分のことは
みんなと一緒に
いじめるでしょ?
いえ みんなよりもっとひどく
いじめるでしょ?
好きな自分なら
守ってやれるの
自分を好きでいられるように生きてたら
だいじょうぶなのよ
これは mixiのある方の日記にコメントさせていただいたところ
それにまたコメントしてくださったSさんへの返信コメントです。
とても長くなってしまったので、
コメント欄に書き込むにはあまりにも失礼なので、
私の2013年夏の記録として、ここに掲載することにしました。
このところエネルギーの流れが早すぎて
思いを言葉に替えられない状況でした
今の言葉は 今の思い・・・
明日の思いは 明日の言葉になる・・・
このことをきっかけに
私の今を確認させていただくことができました。
書かせていただいて
ありがとうございます。
長い文章ですが、今の私を読んでいただけたら
とても うれしいです。
・・・・・・・・・・・・・・
「Sさんへ」
Sさん こんにちは
コメント ありがとうございます。
私もほんとに ほんとにそう思います。
ただ「情報」の拡散が 「怒り」の拡散になることを懸念して
勇気をふりしぼって(^^) わたしの意思表示をしました。
これはあなたの言葉では
「反抗」「戦っている」ことなのかもしれませんね。(^^)
私はあなたと同じ思いで、同じ事をしていると思っています。
「選ぶ」ということや、「自分で決める」ということ、
そしてそれを「宣言する」ことは、
私の幼い時からの夢であり、悲願でもありました。
それが許されない生活を体験してきた私にとっては、
それは人生を自分と戦って生きて
ようやく手にした豊かさだったのです。
人類の歴史にとっても、
私たちが「選ぶ」権利を得たのはつい最近のことです。
しかも女性にとっては。
私の親の時代までは、結婚相手さえ自分で選べませんでしたものね。
私も この権利を再び奪われる事のないように、
そのためには 誰かに頼まれたから、
あるいは みんながそうするなら私もそうしようではなく、
自分で決めるため、
NO!をいえる勇気の確信のために、
この人生に責任を持つために、
また再び生まれ来る地球のために、
生まれてきた目的と役割のために、
せっかく得た「選ぶ権利」を無駄にしないでいただきたい、と
切に願っています。
だから、選ぶための情報をたくさんデリバリすることや
嫌なものは嫌だと言うこと・・
これは私の選ぶ権利の道でもあるのです。
私も 戦争も原発もいやです。
特に 選べないこどもたちを巻き込むことには
堪えられません
だから、私は戦いません!と宣言し、
あなたは戦わないために戦いますと宣言した・・・
同じことではないでしょうか。
あなたの言葉を借りれば、私の宣言は「戦い」ですし、
私の表現で言えば、あなたの戦いは「選んで 決めて 宣言する」ということ。
私たちはずっと、
「誰かを何かを守るために いまより幸せになるために」戦って来ました。
中には、戦いをもうやめるための戦いや、
戦いたくないからという戦いもあります。
私も若い頃は、平和のための戦いをがんばっていたことがありました。
自分で選ぶことも 自分で決めることも それを宣言することも、
こわくて勇気のいる自分との戦いかもしれません。
誰にどう思われようと、私は私を好きだ!私の人生に責任をとります!
という自立の宣言でもありますね。
(わたしも優しくて正直で誠実で勇気がある今のあなたが大好きです!)
選ぶための選択肢としての情報は、
たくさんあったほうがいいですね。
私もそのために、いままで知らされていなかった情報を知った時には、
みなさんにシェアさせていただいています。
私が今までとは違う視点からの情報をシェアするときは、
こんな思いです。
「この情報を、 今までのことや誰かを責めたり裁いたり
悔いたりするためではなく、
これから 自分で 新たに選択するためにシェアします。」
戦いの もとのエネルギーは、
怒りや失望や悲しみや恨み・・といった感情です。
それを一部の人のエゴや欲がコントロールすると
戦争を起こすこともできます。
だからもし 私が「自分で選ぶため」にシェアした情報によって、
誰かが「怒りや失望や悲しみの感情」を味わったとしたら、・・・
私は本当に止めたいと思っている戦いに、
戦いのもとのエネルギーを加えてしまい、
戦いを大きくして 長引かせることに役立ってしまうでしょう。
ですから、怒っている人の
怒りを増幅させる言葉には、
今、とくに注意が必要だと考えています。
家庭の中でも 国と国でも、
ケンカをしたくなければ、相手と一緒に怒らないこと。d(^^)
怒りは戦いを止めません。
情報によって怒りを誘発するなら、
それはどこかの戦いをさらに長引かせるでしょう。
そして あらたな戦いを創ることにもなるでしょう。
怒っているひとと一緒に怒らないこと・・・
周りを怒りに巻き込んでいかないこと・・・
情報を提供して 怒りではない方法で意思表示をしていく
それが戦いの歴史を終わらせていく方法だと感じています。
そのためには、
怒りで集まるのではなく
一人ひとりが
「私はいやだ!」「これは選ばない!」と
意思表示をすること。
それが 私にとっては「戦わないこと」であり、
あなたにとっては「戦うこと」なのでしょうね。
どこかの国の「動かない静止の抗議」
日本でも被爆地で
「だまって青空を見上げる意思表示」がありましたね。
今までの「私」と「あなた」という分離の時代には
隠したり、嘘をついたり、騙したりできましたが、
今はエネルギーが統合に向かっています。
「わたしたち」という統合の時代は、
あなたも私ですから、
私が私に隠しごとができない、
本音とたてまえが使いわけられない、
私が私に嘘をつけない時代なので、
内部告発や機密文書や古文書の開示、あるいは失言?など・・・、
これからますます あらゆるものの真実、本質、本性が暴露されてきます。
それはわたしたちひとりひとりにとっても 同じことです。
すでに情報の量も 広がる速さも、
10年前には考えられないような時代にはいっていますね。
ネットの情報で、みんなびっくりして怒りが拡散し、
怒りが集まって 戦いが始まった国もありますね。
わたしたちは、何かについて新しい情報がもたらされると、
古い情報が間違っていたように思いますが、
いつも情報はその時代を作り、
人間の生き方を決めてきた「その時の真実」だと思っています。
情報は刻々と新しく塗り替えられますし、
どこまでいってもわたしたちは 知る(思い出す)プロセスにあって、
すべてを網羅した全体像には行き着きません。
また こんなふうにも考えます。
ゾウの耳に触れている人と、鼻に触れている人、背中に触れている人、
しっぽに触れている人、足に触れている人が、
それぞれゾウとはこういうもので、自分が正しいと言い張って、
相手を嘲笑ったり お前は間違っているといってケンカする時代は
そろそろ終わりにして、
それぞれのゾウの情報を持ち寄って 合わせて つなげて
ようやくゾウの全体像を知る・・・
「どちらが正しいか」 という考えから
「私も正しいが あなたも正しい」 という考え方に
変わっていくことが大事ではないかと・・・
表面だけでなく、ゾウの身体の内部や
細胞の中のミクロの世界まですすんでゾウを知ろうとすれば、
それは 宇宙というマクロに飛び出していく果てしない探求となるでしょう。
私たちが知っていること、知ったことは、
いつも一部であり 全体への過程です。
たくさんの真実が開示されるこの時、
隠されてきたという驚きを
怒りではなく 今知り得た安堵と感謝に変えて、
そのものの見方をさらに多面的に広く深くしていくために使い、
すべての情報を より調和のために使っていくことが、
選べない人生のシナリオをこれだけ長く生きた人類の
最終的な目的なのではないかと、
そんなふうに思うのです。
時代のビフォーアフターを体験できる私たちには、
地球と人類そしてあらゆる生命体が
スムーズに新しい時代に入っていくお手伝いをしつつ、
ひとつを生きる命の本質、愛を
しっかりと思い出していく約束があるのではないかと、
私は今 そう思っています。
Sさん
これは今の私の真実です。
真実はいのちの数だけあるでしょう。
どのいのちも大切で否定されないものであるように、
私はどの情報にも もちろんあなたにも
心から愛と感謝を感じています。
私は今 このように思っていますが
人類が 平和のためにまだ怒りが必要だと考えるなら
私もまたそれを選択したのだと その責任を負いましょう。
そしてそれは、地球やこの星に住むすべてのいのちへの責任、
そして 宇宙への人類の回答なのです。