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これからまた
とびきりの富士山が見られる季節です
朝も昼も夜も
富士山は 必ずそこにいて
静かに見守ってくれていますが
見るたびに 違う美しさを見せてくれます
なんという安心と
なんというぜいたく!
わたしの人生のアルバムには
富士山はずっと登場しつづけています
富士山の思い出は
わたしの歴史 人生史です
けれど 富士山に語りかけ
感謝と讃美をささげるようになったのは
ずっとおとなになってからでした
59才になって はじめて
富士山に手紙を書きました
[恋文として 富士山へ]
富士山 あなたは
そこにそうして在るだけで
許し 受け入れて
癒し 抱擁し
勇気づけて 転回させ
励まして 送り出す・・
あなたは
父であり 母であり
静かな 師であり
愛情豊かな 友であり
そして
私の人生の伴走者
あなたを 愛してやみません・・・
3才の七五三が終わったころ
父の入院をきっかけに
最終的に 母は私を
父の実家に置いていった
祖父の説得にも 耳を貸さず
それほどに母は
傷ついていた
私は母を縁側から見送り
それから下の道まで かけていって
かげろうの中を足早に行く母の背中に
「バイバイ!バイバ~イ!」
と いつまでも手を振った
追いかけては いけない・・・
そんな気がした
道のむこうに
富士山が くっきりと見えた
カナカナカナカナ・・・
ヒグラシの声で
昼寝から目をさませば
庭先からしのびこんだ
夕闇の中に ひとり
ほっぺたのよだれを
手でふきながら見回すと
家族の笑い声が 聞こえてくる
むこうの居間の障子が
明るくて まぶしくて
その障子をあけて
入っていけない
・・・5才の私がいた
もいちどタタミに
ほっぺたをつければ
ひんやりとして
カナカナカナカナ・・・
うっすらと 目をあけると
縁側のむこうから
黒いシルエットの富士山が
じっと見ていた
逃げていく所もなくなり
生きている自分を許せず
死ねない苦しみにもがいて
いのちを粗末にして生きた10代
死ぬ手段さえなかったあの時
舌を噛もうとした瞬間に
初めて生きてみたいと思った
もし 1/100でも可能性があるのなら
もし 逃げきれたなら 生きてみよう!
新聞紙と100円玉2枚握りしめ
広い道を避けて
田んぼのあぜ道や 墓地の間を
白い息を吐きながら
何時間も 走りに走った
朝もやの中で
富士山が見ていた
どこまでも追いかけてきて
だまって見ていた
東京に出て 仕事に就き
よもやの結婚をすることになり
初めてふるさとに連れてきた時に
彼が言った
「意外と小さいんだね 富士山。」
彼の視線のむこうにあったのは
富士のすそ野の愛鷹山
私の指さす先を見た時の
彼の言葉を 今も思い出す
「大きすぎて 見えなかったよ!」
絵はがきのような
立派な
誇らしい富士山だった
驚いたことに 三つ子が生まれ
そして 離婚して・・
倒れた父と暮らす選択をして
富士宮に家を借り
千葉から引っ越ししてきたのは
子どもたちが小学5年生になろうという
3月の終わりの夜
翌朝 雨戸を開けた私の目に
飛び込んできたのは
見わたすかぎりの・・
あたり一面の 茶畑の緑・・・
茶畑の真ん中には
1本の桜の木
今が満開だった
そして
桜の木のむこうには
なつかしい 富士山がいた・・・
友だちから借金をして
声をあげて泣きながら
あの坂道を登り切った時も
あなたは坂の上で
両手をひろげて
私を待っていてくれた・・・
それから 父を見送り
10年後に母を見送ったあと
うつのような日々が続き
ようやく外に出られた日の
晴れやかなあなたの姿も また
忘れられない・・
思えば 私のそばには
いつもあなたがいた・・・
そのあとに訪れる
奇跡のような展開や
何度も死のうとした私にさえも
こんなにおだやかな
感謝の日々が
用意されていたなんて・・・
七転八倒の生活の中では
想像すらできなかったけれど
あなたははじめから
すべてを知っていて
信じて待っていてくれた・・
今 私はそんな気がしています
私 生きていて
本当によかった・・・
こんなふうに あなたは
すべてのひとりひとりを
沈黙の中で 永く
支えつづけてきたのですね
これからも 見届けてくれますか
私の しあわせな最期
私たち人間の 心の成長
これからの 地球の行く末・・
あなたは 父であり 母であり
師であり 友であり 歴史です
ありがとうございます
あなたを 愛してやみません・・・
とびきりの富士山が見られる季節です
朝も昼も夜も
富士山は 必ずそこにいて
静かに見守ってくれていますが
見るたびに 違う美しさを見せてくれます
なんという安心と
なんというぜいたく!
わたしの人生のアルバムには
富士山はずっと登場しつづけています
富士山の思い出は
わたしの歴史 人生史です
けれど 富士山に語りかけ
感謝と讃美をささげるようになったのは
ずっとおとなになってからでした
59才になって はじめて
富士山に手紙を書きました
[恋文として 富士山へ]
富士山 あなたは
そこにそうして在るだけで
許し 受け入れて
癒し 抱擁し
勇気づけて 転回させ
励まして 送り出す・・
あなたは
父であり 母であり
静かな 師であり
愛情豊かな 友であり
そして
私の人生の伴走者
あなたを 愛してやみません・・・
3才の七五三が終わったころ
父の入院をきっかけに
最終的に 母は私を
父の実家に置いていった
祖父の説得にも 耳を貸さず
それほどに母は
傷ついていた
私は母を縁側から見送り
それから下の道まで かけていって
かげろうの中を足早に行く母の背中に
「バイバイ!バイバ~イ!」
と いつまでも手を振った
追いかけては いけない・・・
そんな気がした
道のむこうに
富士山が くっきりと見えた
カナカナカナカナ・・・
ヒグラシの声で
昼寝から目をさませば
庭先からしのびこんだ
夕闇の中に ひとり
ほっぺたのよだれを
手でふきながら見回すと
家族の笑い声が 聞こえてくる
むこうの居間の障子が
明るくて まぶしくて
その障子をあけて
入っていけない
・・・5才の私がいた
もいちどタタミに
ほっぺたをつければ
ひんやりとして
カナカナカナカナ・・・
うっすらと 目をあけると
縁側のむこうから
黒いシルエットの富士山が
じっと見ていた
逃げていく所もなくなり
生きている自分を許せず
死ねない苦しみにもがいて
いのちを粗末にして生きた10代
死ぬ手段さえなかったあの時
舌を噛もうとした瞬間に
初めて生きてみたいと思った
もし 1/100でも可能性があるのなら
もし 逃げきれたなら 生きてみよう!
新聞紙と100円玉2枚握りしめ
広い道を避けて
田んぼのあぜ道や 墓地の間を
白い息を吐きながら
何時間も 走りに走った
朝もやの中で
富士山が見ていた
どこまでも追いかけてきて
だまって見ていた
東京に出て 仕事に就き
よもやの結婚をすることになり
初めてふるさとに連れてきた時に
彼が言った
「意外と小さいんだね 富士山。」
彼の視線のむこうにあったのは
富士のすそ野の愛鷹山
私の指さす先を見た時の
彼の言葉を 今も思い出す
「大きすぎて 見えなかったよ!」
絵はがきのような
立派な
誇らしい富士山だった
驚いたことに 三つ子が生まれ
そして 離婚して・・
倒れた父と暮らす選択をして
富士宮に家を借り
千葉から引っ越ししてきたのは
子どもたちが小学5年生になろうという
3月の終わりの夜
翌朝 雨戸を開けた私の目に
飛び込んできたのは
見わたすかぎりの・・
あたり一面の 茶畑の緑・・・
茶畑の真ん中には
1本の桜の木
今が満開だった
そして
桜の木のむこうには
なつかしい 富士山がいた・・・
友だちから借金をして
声をあげて泣きながら
あの坂道を登り切った時も
あなたは坂の上で
両手をひろげて
私を待っていてくれた・・・
それから 父を見送り
10年後に母を見送ったあと
うつのような日々が続き
ようやく外に出られた日の
晴れやかなあなたの姿も また
忘れられない・・
思えば 私のそばには
いつもあなたがいた・・・
そのあとに訪れる
奇跡のような展開や
何度も死のうとした私にさえも
こんなにおだやかな
感謝の日々が
用意されていたなんて・・・
七転八倒の生活の中では
想像すらできなかったけれど
あなたははじめから
すべてを知っていて
信じて待っていてくれた・・
今 私はそんな気がしています
私 生きていて
本当によかった・・・
こんなふうに あなたは
すべてのひとりひとりを
沈黙の中で 永く
支えつづけてきたのですね
これからも 見届けてくれますか
私の しあわせな最期
私たち人間の 心の成長
これからの 地球の行く末・・
あなたは 父であり 母であり
師であり 友であり 歴史です
ありがとうございます
あなたを 愛してやみません・・・