カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
  月別記事(直近3ヶ月)
  記事順序
古い記事からご覧になりたい方は、下記のページへお入りください。

http://blog2.yumekosan.com
  プロフィール
   Author:   Yumeko
    HP:   ヒーリングアートYume
  ブログ内検索
  ブログ@携帯
 


私は 以前 
住んでいた市の福祉課に ボランティア登録をしていた時期がありました

「何曜日と何曜日の何時から何時までなら こんなお手伝いができます」
という登録をしておくと 依頼者があった時に連絡があります

個人的に 車いすを押してお買い物に行ったり 病院の送迎など
お洋服選びも楽しかったし とても勉強になりました

車いすを押して歩けば じゃまなものや不都合なことばかりで
彼らの側から見ていない社会が目につきました
(交差点で赤ちゃんと一緒にしゃがんでみたら
 この世界は大人の側からしか作られていないことに気づいたように)

重度心身障がい者施設のお手伝いに行くようになってからは
彼らの表現の多様性に驚きました

話す 歌う 叫ぶ 跳ねる ・・
ひっかくことも つねることも
私のメガネを あっという間に
長い手ではずしにくるのも表現でした

話さないことも 目を合わせないことも
動かないことも表現でした

私とは違う方法で みんな表現していました
みんな同じ思いでなくていいし
同じ思いを 違うやりかたで表現したっていい


ある年の春 大きなバスで施設のみんなでお花見に行きました
私はバス旅行の付き添いは初めてだったので
施設の中で さらに重度と思われていたA子さんの
隣に座るように言われたときは 困惑しました

A子さんは 歩けないのでオムツ交換が必要でしたし
左右の目が焦点があわないので いつも顔はあちらに向いていて
言葉は話せず 大量のよだれが流れ続けるために
いつも口の中に 入るったけのタオルを入れていました
 
だいじょうぶかしら わたし・・と思いながら
バスを降り 車いすを押す頃には
サクラは終わっていたものの 新しい葉っぱの芽がやさしくて
いつのまにか 楽しくなっていました

花や木の下にいちいち止まって
「ねぇ 見て見て!A子さん。アジサイのつぼみがほうら♪
 次はここはアジサイの花でいっぱいになるのね~。
 その頃 また来たいわね~♪」

口の中のタオルを 時々交換しながら
私は楽しくて ずうっとおしゃべりしていました

お昼には お弁当の時間です
斜めから私を見ながら 「うう~っ!」と
口に入れるのが「遅い!」という催促です

どんどん早くしても さらに早く飲み込んでしまいます
「ゆっくり味わって 噛んで ごっくんしようか」
と言ってゆっくりにすると 
イライラして怒ってくるのがわかります
初めての私では いつものテンポがわかりません

帰りの時間が来て またバスに乗りました
「私は慣れていなくて ちゃんとお世話できなかったでしょ?
 帰りは慣れている人に となりにすわってもらいましょうね。」
と言って 私がイスから立ち上がり キョロキョロしていたら
何かが私のブラウスをひっぱります
見ると A子さんの曲がった指が 
私のブラウスのすそにひっかかっていました

「あ、気がつかなくてごめんなさい。痛かった?」と言ってその指をはずして
また立ち上がって誰かいないかしらと探していると
またブラウスのすそがひっぱられます
見ると また彼女の指が・・
でも 彼女の顔は横を向いたまま私を見てはいません・・・

またはずして立ち上がると・・・また・・

ようやく気がついて でも信じられない気持ちで
「もしかしたら 帰りも私でいいんですか?
 となりにすわらせてもらってもいいのですか?」
と聞きましたが もちろん返事はありませんでした

でも うれしくて涙が出そうでした
みんな伝えたい思いがある
話せなくても 動けなくても 感じてる心がある・・・

彼らの障がいは 「表現障害だけだ」と 
その時 そう思いました

そして さらにそれは
障がいなのではなく 役割なのではないかと・・・

わたしたちは今 
自分と同じようにさせようとする
「自分が正しい それ以外は間違っている」という永年の私たちの思いグセを

「私も正しい あなたもきっと正しい
 でも今はあなたの正しい理由を見つけられない
 どこからどのような角度で見たら それがそのように見えるのだろうか」と

相手の立ち位置に立って 
相手を理解しようとすることが必要な時なのではないか と

そのために 彼らはまず 親や家族の「受け入れの間口=愛」を広げ
まわりや そのひとに関わる人たちを変えていくための
人生を捧げた愛の奉仕 愛の先生ではないのかと・・・

手伝いが必要なのは 私たちのほうではないかと
そんなふうに思うのです

多様な表現を受けいれて 
それを聴きとろうと歩み寄り
寄り添って 心を開くこと

それが今の世界を「愛 ひとつ】 に戻す近道なのではないかと

そのために この人たちは
今 ここに 生まれてくれたのだと・・・


「みんな【普通】なんだよ。
 自分と同じでないのは【普通でない】と思うのは失礼なんだよ。
 みんなそれを選んでいるのだから。」

と これは かつて私の息子がまだ言葉を話す頃
私に言った忘れられない言葉です


私もまだ成長の途中です
この身体が終わるまでに
息子の愛に追いつくことはできるだろうか・・と
思うこの頃です

いったい どちらが障がい者でしょうか?














ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


.