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NHKの「みんなのうた」で
石川さゆりさんの「もういいかい」 
という曲が話題になっていると
今朝のテレビでやっていた

彼女に「天城越え」を書いた作詞家吉岡治さんが
病床から「この詩は君にあげる」といって
遺作となった詩

「・・・夏と秋と 夏と秋と・・」
と くりかえすフレーズが
夏と秋を行きつ戻りつする
ちょうど今の季節感にぴったりなのと

新しい時代に移り変わるわたしたちの心や波動が
レースのカーテンのように揺れているのと重なって

人の一生 人生の山や谷・・・
さらに 作詞家の病状の一進一退とあいまって・・・

「♪もういいか~い・・・もういいよ~」
というくだりでは
胸があつくなって涙がでたのは
私だけではないでしょう

作詞家は 
ご自分に言ったのではないでしょうか
「もういいよ~」

私も最期に言われたいものです
「♪もういいか~い・・・もういいよ~」

家族やともだちからも
見守ってくれている存在たちからも
もちろん 自分からも

それは
ひとつの季節の終わりのさびしさと
新しい季節の準備が整った安堵ではないかと・・・









最上階に住んでいる私の家の屋根で
ガガガガ…と工事が始まった

このあいだ突然
[屋上に携帯電話用の中継局を
 設置することに決定しました]
という紙が全戸配布されて

8/29から9/14までが工事期間です
頭の上にアンテナが建つらしい…

[29~31日は基礎工事のため振動騒音が・・
 期間中 停電もあり
 大型クレーン車が停まるので車の移動も…
 お忙しいのにすみません]
と書いてあります…mmm…

読んだ時は
お忙しいのにじゃあないでしょう?
放射性物質の汚染で
水も土も
空気さえ安心して吸えなくなっているのに
このうえ 電磁波?
([怒り]は他の分まで足し算になる)

頭痛…めまい…吐き気…
仕事ができない…引越し?!!

た~いへん!…と
起きてもいないことを妄想して
家探しまで暴走してしまった!

いやはや
まだ起きてないことで悩むクセが
まだあるなぁ

古い価値判断を手放す練習 練習
闘わないで仲よくしましょ
と決めたら気も軽くなったところに
[「放射能は怖い」のウソ]という本がきた

思っていることを目の前につきつけられるなぁ
心配していれば ますます心配な情報ばかりがくる
心配から離れると 安心だという情報がくる

そのうち
[電磁波は 脳を活性化して覚醒させ 美容にも若返りにも有効!]
というような情報がくるかもと冗談を言っていたら
[そうらしいですよ]
なんて言葉が早くも飛び込んできた

今までの常識で
悩んでいるひまがなくなってきた
日に日に
すべてが新しくなってきている

変化の波が大きく動き始めて
すべてが 想定外!

想定外なんだから
今の頭で考えたってムダ

驚いているひまに
次の驚きが来る
入れ替えるひまもない

いっそのこと
全部いったんカラにして
すべてを初めての体験みたいにワクワクして
価値判断なしに見てみよう
1才の孫の青空(そら)のように

と リベラの祈りのCDをかけながら
透明な声が心に広がって
喜びと感謝に満たされて……

と そこに いきなり天井から
ガガガガ…ダダダダと始まったわけですよ

この暑いのに
どんなにがんばってるのか見てみようと
ベランダに出たら…





な~んて きれいなの~
あんまり 空が青くて…はぁ~

雲は自由に天空にアートして
なんて生き生きとダイナミックに
屋根の下で考え悩んでいるひとを
外に誘っているのかと…

[空を見てごらんなさい]と
あのガガガガがおしえてくれたんだね
ありがとね なんて
すっかり気分よくなってしまって

工事の作業を見るのも忘れて
空の写真を撮り続けました

気がつけば
私は三方を山に囲まれてくらしています
富士山を背にして立つと
右手から左手まで
ぐるりと山に囲まれて
目の前に開けた先には駿河湾があり
その先の伊豆大島と富士山を結ぶ線上に
三嶋大社と私の住まいが一直線につながっています

ああ 
いいところに住まわせていただいているなぁ
感謝だなぁ~


そんなきょうでした
8月ももうすぐ終わりですね
2011年の2/3が終わります

今年は折り返しターンの年ですよ
来年に向けて 毎日断捨離

あと1/3で
どれだけ軽くなれるかな
生まれ変わるチャンスを見逃さないように
自分の感情の動きを
しっかりチェックしようと思います



[問題も答えも
 すべてはあなたの内側にある]






(つながっているいのち)


1996年、今から15年前の3月11日、
私は米国アリゾナ州のセドナにいました。

セドナがどこの国にあるのかも知らなかった私にとって、
導かれて始まったあの旅は、毎日がミラクルの連続でした。

信じられないような出来事はとても書ききれないので、
いつかまた お話会などで おいおいお話ししていくことにして、
今日はその中でひとつだけお伝えしたいことがあるのです。

ポピの村を訪ねたときのこと。
白人によって彼らは住んでいた土地を追われ、
貧しくも信仰深く戦わずに生きることを選んで、
何度も、どこまでも、追い払われて、
不毛の土地に甘んじて生きてきたと聞いています。

彼らは、神様からの言い伝えで、
「大地を掘って、ひょうたん(ひょうたん雲→原爆のこと)をつくってはいけない」
と言われていましたが、
白人の命令で、その土地のウランを掘らざるを得ませんでした。

そのために、彼らもいまだに白血病やガンに苦しんでいます。
日本が被曝する以前に、彼らが最初の被曝者になっていたのでした。

とある小さなみやげもの屋さんに入ったときのこと、
その店のおじさんが私に「日本人か?」と聞くのです。
「そうです」と答えると、おじさんは帽子をとって、
「ごめんなさい」と言うのです。
「どうして?」と聞くと、
「私がウランを掘って、原爆を作った。」と頭を下げるのでした。

ウランを掘ったのは彼ではなくて、彼の親の代でしょう。
としたら、かれらも被曝者として、また被曝二世として苦しんできたはず。

自分たちの国のやったことは、自分がやったこととして、
日本人に対して責任を負う、その姿勢に強くうたれました。

そしてそれは、広島の平和公園に刻まれている
あの言葉に通じるところがあると思いました。

「安らかに 眠って下さい
 あやまちは 二度とくりかえしませぬから」

この言葉が被曝地に掲げられていることが、
私の 日本人としての大きな誇りでした。

被害者ではなく、「私がやりました」という、
人類としての責任感を日本人はもっているという誇りです。


被曝して66年目、日本は三度目の被曝です。
放射性物質は、日本だけでなく、
たくさんの国の空や海を汚染しました。

空が汚染されるということは、呼吸する空気だけでなく、
森や土や地下水を汚すということです。
川や海が汚れるということは、生態系が壊れるということです。

セドナのみやげもの屋のおじさんの、一旅行者の私への深いわびの心や、
あの広島を生き残った人々が、亡くなった人たちに誓ったように、
「あやまちは 二度とくりかえしませぬから」という思い、
「それは、私がやりました。」という、その時そこに生きた者としての反省が、
どう生かされて、何を選択していくのかを、
今 世界中が日本をじっと見つめています。

日本は、あの原発事故から半年もたたないうちに、
泊原発を稼働させることを選択し、許可しました。

私は、少なくてもセドナのあのおじさんに、
たくさんの「ごめんなさい」を言わなければなりません。

「あなたや動物たちの吸う空気を汚して ごめんなさい。
 土や水や食べ物を汚染して ごめんなさい。
 そして あなたのたいせつなひとたちを
 これからも不安にさせて ごめんなさい。」 と。
 

(追記)
泊発電所3号機は、2011年3月7日に調整運転として再稼働し、8月17日に正式な営業運転に移行したが、2012年5月5日23時3分定期検査のため停止された。定期検査は71日間かけて実施される予定であったが、原子力安全委員会の再稼働許可が出ていない。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%8A%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80)




仲良しのYOKOさんが
ブログで ニコニコ動画から
おもしろいものを紹介してくれましたので
わたしも転記させていただきます


般若心経はたくさんの方が訳して下さっていますが
中でも 柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」には心がふるえたし
新井満さんの「自由訳 般若心経」は 誰にでもとてもわかりやすいし
山元加津子さんの「宇宙(そら)の約束」は
手の中に入ってしまうほど小さいお経本の中に 
やさしくてあったかい大きな世界があります

今回の「般若心経ロック」は
今風な ノリのいい これもまたイイ感じですねェ!

最後の言葉に 救われますね

涅槃(ねはん)に入る道は いのちの数だけあります


みんなが 楽に生きられますように   ゆめこ




初音ミクアレンジ「般若心経ロック」
http://dic.nicovideo.jp/v/sm11998050

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも 全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも 最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ 背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを 捨てちまう事も出来るはずだ。
 
この世が どれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものに こだわるな。
聞こえるものに しがみつくな。

味や香りなんて 人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもん その場に置いていけよ。

先の事は 誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは 確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったら ロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって 生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や 慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ 涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば 誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったら それで上等だろ。

嘘もデタラメも 全て認めちまえば 苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは 全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじって よく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。






(以前の日記より)

昨日は 55才?でブラジルから帰ってお坊さんになった同級生の奥様の
七回忌にお参りさせていただいてきました

こんなご案内をいただいたからです

「・・・
 とき 平成23年○月25日(日)10時半

 なお ご香料等のお気遣いは 無用に願います。
 平服にて 気軽にお越しいただき 田舎の蕎麦を食べながら
 彼女のことを思い出して頂けたら なによりです。」

何日かして お詫びと訂正というハガキが届きました

「・・・・
 日付が間違っておりました。正しくは○月26日(日)です。
 お詫び方々 訂正させていただきます。

 ときどき このようなことが おきますが
 深く落ち込むことなく やっております。」

力のぬけた彼らしさに思わず笑って 
こちらも力がぬけてメールを出しました

「近頃 白い木綿の服ばかりになったロッカーをながめて 
 ため息をついています。 平服とは如何?」 と

その返しに

「平服とは 白い木綿の服のことです」

その返信が気に入って
お寺の法事に さすがに白いワンピースは遠慮しましたが
やはりほとんどが黒だった中で 
せいいっぱいしきたりや常識には我慢をしていただき
敬愛なる同級生と大好きな奥様に会いに行くのに
私が納得のいく格好を最優先にして服を選びました

思えば 亡くなる数ヶ月前に彼女がブラジルから来られて
私に会いたいと言ってくださったときも 
同じように服を選んだ覚えがあります
見ただけで私がわかるような いちばん私らしい服を・・

今回も やはり私の好きな服を選び
ブラジルから 私の絵を応援して下さっていた彼女に
お香料代わりの額をひとつかかえて伺いました

奥様はいつも 虹色の空を仰いで
額の中でほほえんでいます
私もこんなステキな写真を探しておかなくちゃ!
・・・ないなぁ といつも思います


持参した額は 波の上に「だいじょうぶ」と書いた水墨画だったのですが
添付した紙に 私はこう書いていました

「”だいじょうぶの波”

 ひとは 揺れがあるから
 何度でも気づくことができる

 揺れていいんだよ」


60才を過ぎると 何年会わなくても
言葉以上に伝え合う呼吸のようなものでつながって 
だんだん楽になってきます  

ありがたいことです

若いときに 人生の先に
こんな感謝の時間が待っていることを知っていたら・・・
死を選ぼうとしたりせず 希望をもてたかもしれない・・・

あの時は つらかったけれど
思えば どの人も 
私のシナリオを支えてくれた
かけがえのない登場人物だった

どの出来事も いまの私に導く
必要な体験だった・・・

いま生きていること 
生かされてきたこと

としをかさねること・・・

本当に ありがたいことです

合掌


~人生は 感謝に至る道~
             ゆめこ




ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


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