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これは mixiのある方の日記にコメントさせていただいたところ
それにまたコメントしてくださったSさんへの返信コメントです。
とても長くなってしまったので、
コメント欄に書き込むにはあまりにも失礼なので、
私の2013年夏の記録として、ここに掲載することにしました。
このところエネルギーの流れが早すぎて
思いを言葉に替えられない状況でした
今の言葉は 今の思い・・・
明日の思いは 明日の言葉になる・・・
このことをきっかけに
私の今を確認させていただくことができました。
書かせていただいて
ありがとうございます。
長い文章ですが、今の私を読んでいただけたら
とても うれしいです。
・・・・・・・・・・・・・・
「Sさんへ」
Sさん こんにちは
コメント ありがとうございます。
私もほんとに ほんとにそう思います。
ただ「情報」の拡散が 「怒り」の拡散になることを懸念して
勇気をふりしぼって(^^) わたしの意思表示をしました。
これはあなたの言葉では
「反抗」「戦っている」ことなのかもしれませんね。(^^)
私はあなたと同じ思いで、同じ事をしていると思っています。
「選ぶ」ということや、「自分で決める」ということ、
そしてそれを「宣言する」ことは、
私の幼い時からの夢であり、悲願でもありました。
それが許されない生活を体験してきた私にとっては、
それは人生を自分と戦って生きて
ようやく手にした豊かさだったのです。
人類の歴史にとっても、
私たちが「選ぶ」権利を得たのはつい最近のことです。
しかも女性にとっては。
私の親の時代までは、結婚相手さえ自分で選べませんでしたものね。
私も この権利を再び奪われる事のないように、
そのためには 誰かに頼まれたから、
あるいは みんながそうするなら私もそうしようではなく、
自分で決めるため、
NO!をいえる勇気の確信のために、
この人生に責任を持つために、
また再び生まれ来る地球のために、
生まれてきた目的と役割のために、
せっかく得た「選ぶ権利」を無駄にしないでいただきたい、と
切に願っています。
だから、選ぶための情報をたくさんデリバリすることや
嫌なものは嫌だと言うこと・・
これは私の選ぶ権利の道でもあるのです。
私も 戦争も原発もいやです。
特に 選べないこどもたちを巻き込むことには
堪えられません
だから、私は戦いません!と宣言し、
あなたは戦わないために戦いますと宣言した・・・
同じことではないでしょうか。
あなたの言葉を借りれば、私の宣言は「戦い」ですし、
私の表現で言えば、あなたの戦いは「選んで 決めて 宣言する」ということ。
私たちはずっと、
「誰かを何かを守るために いまより幸せになるために」戦って来ました。
中には、戦いをもうやめるための戦いや、
戦いたくないからという戦いもあります。
私も若い頃は、平和のための戦いをがんばっていたことがありました。
自分で選ぶことも 自分で決めることも それを宣言することも、
こわくて勇気のいる自分との戦いかもしれません。
誰にどう思われようと、私は私を好きだ!私の人生に責任をとります!
という自立の宣言でもありますね。
(わたしも優しくて正直で誠実で勇気がある今のあなたが大好きです!)
選ぶための選択肢としての情報は、
たくさんあったほうがいいですね。
私もそのために、いままで知らされていなかった情報を知った時には、
みなさんにシェアさせていただいています。
私が今までとは違う視点からの情報をシェアするときは、
こんな思いです。
「この情報を、 今までのことや誰かを責めたり裁いたり
悔いたりするためではなく、
これから 自分で 新たに選択するためにシェアします。」
戦いの もとのエネルギーは、
怒りや失望や悲しみや恨み・・といった感情です。
それを一部の人のエゴや欲がコントロールすると
戦争を起こすこともできます。
だからもし 私が「自分で選ぶため」にシェアした情報によって、
誰かが「怒りや失望や悲しみの感情」を味わったとしたら、・・・
私は本当に止めたいと思っている戦いに、
戦いのもとのエネルギーを加えてしまい、
戦いを大きくして 長引かせることに役立ってしまうでしょう。
ですから、怒っている人の
怒りを増幅させる言葉には、
今、とくに注意が必要だと考えています。
家庭の中でも 国と国でも、
ケンカをしたくなければ、相手と一緒に怒らないこと。d(^^)
怒りは戦いを止めません。
情報によって怒りを誘発するなら、
それはどこかの戦いをさらに長引かせるでしょう。
そして あらたな戦いを創ることにもなるでしょう。
怒っているひとと一緒に怒らないこと・・・
周りを怒りに巻き込んでいかないこと・・・
情報を提供して 怒りではない方法で意思表示をしていく
それが戦いの歴史を終わらせていく方法だと感じています。
そのためには、
怒りで集まるのではなく
一人ひとりが
「私はいやだ!」「これは選ばない!」と
意思表示をすること。
それが 私にとっては「戦わないこと」であり、
あなたにとっては「戦うこと」なのでしょうね。
どこかの国の「動かない静止の抗議」
日本でも被爆地で
「だまって青空を見上げる意思表示」がありましたね。
今までの「私」と「あなた」という分離の時代には
隠したり、嘘をついたり、騙したりできましたが、
今はエネルギーが統合に向かっています。
「わたしたち」という統合の時代は、
あなたも私ですから、
私が私に隠しごとができない、
本音とたてまえが使いわけられない、
私が私に嘘をつけない時代なので、
内部告発や機密文書や古文書の開示、あるいは失言?など・・・、
これからますます あらゆるものの真実、本質、本性が暴露されてきます。
それはわたしたちひとりひとりにとっても 同じことです。
すでに情報の量も 広がる速さも、
10年前には考えられないような時代にはいっていますね。
ネットの情報で、みんなびっくりして怒りが拡散し、
怒りが集まって 戦いが始まった国もありますね。
わたしたちは、何かについて新しい情報がもたらされると、
古い情報が間違っていたように思いますが、
いつも情報はその時代を作り、
人間の生き方を決めてきた「その時の真実」だと思っています。
情報は刻々と新しく塗り替えられますし、
どこまでいってもわたしたちは 知る(思い出す)プロセスにあって、
すべてを網羅した全体像には行き着きません。
また こんなふうにも考えます。
ゾウの耳に触れている人と、鼻に触れている人、背中に触れている人、
しっぽに触れている人、足に触れている人が、
それぞれゾウとはこういうもので、自分が正しいと言い張って、
相手を嘲笑ったり お前は間違っているといってケンカする時代は
そろそろ終わりにして、
それぞれのゾウの情報を持ち寄って 合わせて つなげて
ようやくゾウの全体像を知る・・・
「どちらが正しいか」 という考えから
「私も正しいが あなたも正しい」 という考え方に
変わっていくことが大事ではないかと・・・
表面だけでなく、ゾウの身体の内部や
細胞の中のミクロの世界まですすんでゾウを知ろうとすれば、
それは 宇宙というマクロに飛び出していく果てしない探求となるでしょう。
私たちが知っていること、知ったことは、
いつも一部であり 全体への過程です。
たくさんの真実が開示されるこの時、
隠されてきたという驚きを
怒りではなく 今知り得た安堵と感謝に変えて、
そのものの見方をさらに多面的に広く深くしていくために使い、
すべての情報を より調和のために使っていくことが、
選べない人生のシナリオをこれだけ長く生きた人類の
最終的な目的なのではないかと、
そんなふうに思うのです。
時代のビフォーアフターを体験できる私たちには、
地球と人類そしてあらゆる生命体が
スムーズに新しい時代に入っていくお手伝いをしつつ、
ひとつを生きる命の本質、愛を
しっかりと思い出していく約束があるのではないかと、
私は今 そう思っています。
Sさん
これは今の私の真実です。
真実はいのちの数だけあるでしょう。
どのいのちも大切で否定されないものであるように、
私はどの情報にも もちろんあなたにも
心から愛と感謝を感じています。
私は今 このように思っていますが
人類が 平和のためにまだ怒りが必要だと考えるなら
私もまたそれを選択したのだと その責任を負いましょう。
そしてそれは、地球やこの星に住むすべてのいのちへの責任、
そして 宇宙への人類の回答なのです。
私たちは
ずっとずっと戦い続けてきました。
誰かが間違っている、と言って戦うのは
もうやめます。
戦いは常に「正義」でした。
私は たくさんの情報を、
何を選ぶかを決めるために、
そして 戦わないために使います。
戦争をやめよう!と
私も若い頃は ずいぶん戦ったけれど、
同じ戦いのエネルギーでは、
終わらせたいことにエネルギーをそそぎ、
長引かせるばかり。
どんなに正しいといわれている情報であっても、
私はもう 戦いなさいという言葉には従いません。
誰かが悪いというなら、
それを作ったのは 長い間の私たちです。
私たちは、
集合意識として すべてのできごとに加担しています。
私は あらゆる首謀者であり、戦う者でもあり、
殺す者であり、 殺される者でもあった。
私は、目の前で 母を 子どもを 殺される者でもあり、
それを殺す者でもあった・・・。
すべてをやりつくしてここまで来て・・・・
今 私にすべきことは、
「もう戦わない」と宣言することだと思っています。
8月の
よく晴れた日には
青空を見上げて
わたしは 祈っています
殺戮の歴史は
わたしが選びました
そして もう
決して それは選びません
地球と大自然への 畏敬と
いのちと身体への 感謝と愛をこめて
ただ ただ 祈りを捧げます
~すべてのいのちの目的が
完璧に全うされました
ありがとうございます~
よく晴れた日には
青空を見上げて
わたしは 祈っています
殺戮の歴史は
わたしが選びました
そして もう
決して それは選びません
地球と大自然への 畏敬と
いのちと身体への 感謝と愛をこめて
ただ ただ 祈りを捧げます
~すべてのいのちの目的が
完璧に全うされました
ありがとうございます~
生まれる・・・
わたしが生まれたときも
わたしが産んだときも
おなかのなかでは
命がけの こんなドラマがあった!
生まれるって
生きてるって
命って・・・
あまりにも 奇跡的で
あまりにも すばらしい!
(FBの友達の日記から)
「ある助産師さんのお話」
----------------------------------------
赤ちゃんを産むとき、陣痛というものがある。
陣痛は、初産で約24時間
2人目以降で約12時間続くものらしい。
妊婦さんの中には
この陣痛がとても苦しいので、
「産む側は大変、赤ちゃんは生まれてくる側でいいなぁ」
と言う方もいるらしい。
しかし、助産師さんは
これは大きな勘違いだと言う。
赤ちゃんの方が
妊婦さんの何倍も苦しいのだと。
実は、子宮は筋肉であり
これが収縮したり緩んだりするのが、
陣痛の正体らしい。
陣痛が始まり、子宮が収縮すると
赤ちゃんは首のところを思い切り締め付けられ
へその尾からの酸素が途絶え、
息ができなくなるそうだ。
子宮の収縮は約1分間。
その間思い切り首を締められ、息ができない。
1分たてばまた子宮はゆるむが
また陣痛が来れば1分、息ができなくなる。
しかも陣痛の間隔はだんだん狭くなる。
この陣痛に耐えられなければ
赤ちゃんは死ぬ。まさに命懸けだ。
だからこそ、赤ちゃんは慎重なのだという。
実は、陣痛がおこるためには
陣痛をおこすホルモンが必要らしいのだが
このホルモンを出しているのは
お母さんではなく、なんと赤ちゃん自身。
赤ちゃんはとても賢く、自分自身で自分が
今 陣痛に耐えられる体かを判断する。
そして、一番いいタイミングで
自分の生まれてくる日を選ぶ。
(そう考えると、自分の誕生日も、
自分が選んだ日なんだと思えた)
また、急に激しい陣痛を起こせば命が危いので
最初は陣痛を起こすホルモンを少ししか出さず
様子を見てホルモンの量を調整するらしい。
赤ちゃんの中には、予定日を過ぎても
なかなか生まれてこない赤ちゃんもいる。
途中で陣痛を止める赤ちゃんもいる。
そういう赤ちゃんを
「うちの子はノンビリしてる」
なんていうお母さんもいるけど、
そのとき赤ちゃんは必死なんだという。
生まれて来ないのは、赤ちゃんが
「今の体では陣痛に耐えられず死んでしまう」
と判断しているからだそうだ。
赤ちゃんはみんな、自分で判断して
自分の意志で生まれてくる。
「生まれたくて生まれたんじゃない」
なんて人はいない。
すべての赤ちゃんは、
その日を自ら選んで生まれてくる。
生きるか死ぬかの狭間の中、
あの小さな体で必死に生きようと頑張っている。
子供を授かることもそうですが、
出産は母親にとっても赤ちゃんにとっても
すべてが奇跡の連続なんだと。
あなたの誕生日も、
あなたが命を懸けて、選んだ日なのです。
そう考えると、自分の誕生日が
本当に特別な日なのだと
改めて実感できるのではないでしょうか。