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あなたが好きだよ
という気持ちが届いていたら
言葉で 相手は傷つかないよ
嫌われてるのかも って思うから
傷つくのよね
だから
伝えるときは まず
「あなたが 好きよ」から
そう言えなかったら
「これからも 一緒にいたいから・・・」とか
「ずっとつきあいたいから・・・」とか
「もっと仲良くなりたいから・・」とか・・
キライじゃないことが伝わっていたら
どちらも こわがらなくていい
これからは正直に自分を出して
本当の自分でつながっていく
そのために
ありのままの自分を
今はこれでよし!って
受け入れてあげてね
だって 自分が好きじゃないものを
どうぞ って 言えないでしょ
私だったら・・・
「みかけ悪いですけど なかなかおいしいですよ♪」
「おススメかも♪」まで 言っちゃうかな ( *´艸`)
「これからも ずっと一緒に生きていきたいから
本音でおつきあいしましょ♪」って感じかな
本音で言われて グサッときたら
そこ 自分が気にしてる さわられたくないところ
そこに傷があるから 痛いのね
傷がなければ さわられたことにも気づかない
傷は 最初からそこにあったでしょ?
「ここ 痛いでしょ?傷があるよ」って
教えてくれているんだね
傷を癒すことができるのは
傷つけてる自分だけ
でも 痛みを持ちながら
その傷を隠そうとしたりしないで
「今はこれでいい」って
そこに傷がある自分さえ好きでいられたら
きっと
傷をもって生きてる人たちのことも
愛しく思える
痛みを知っている人を
私は やさしいなぁ すきだなぁと思ってしまうよ
それからね
伝えることと
要求することは違うのよ
「こうしてほしい」
「こうしないでほしい」と要求すると
それは期待だから
期待通りにならないと
悲しみや怒りとつながるから
ケンカになりやすい
伝えるのは
それをどう感じているかという
自分の気持ちだけ
「そう言ってもらって うれしいわ~」
「その言葉 悲しいな~」
「わ~ すてき~」
「こういうの すご~く 淋しい感じがする」
何を喜び 何が悲しくて
どういう言葉が好きで・・
そういったことが伝わっていなかったら
一緒にいるのが大変だよね
さあ まず 家族から
伝える練習を 始めましょう♪
何年か前のメモに
こんなことを書いていた
自分についてである
生きるために 他を否定せず
半生を 自己否定で生きてきた
この年齢になって ますます”否定”が痛い
誰かが誰かを否定することも それを聞くのも
心が・・からだが 痛い
否定からは 始まらず
否定は 笑顔を生まない
ひとはだれでも その時は
そうするしかない人生を生きてきた
過ぎてからふりかえれば
今なら決してしない選択も
私はたくさんしてきた
その人が その考えに至った道のりを想えば
私は誰をも 否定できない
お母さんのお腹の中から そして
生まれて目を見開いたときから
その人と同じものを見て
同じ言葉を聞き
同じものを食べ あるいは食べられず
今のその人であったなら
私も同じことを思い 話し しただろうと
そう思う
言葉の内容や 行動の善悪ではなく
そこに至った淋しさや 悲しみ・・
その選択肢しかなかったのは
そのひとの孤独からくるものだと思えるとき
その どうしようもない恐怖に向き合うとき
「さびしかったね」
「つらかったね」
「そうするしかなかったんだよね」
と 自分に言うように そう言うしかない
「そうね」と言いさえしたら
相手の中から するすると言葉とともに
抑えていた胸いっぱいの悲しみやつらさや出てきて
その奥から はじめからそこにあった素直な答えがポンと出てくる
みんな自分を 聞いて欲しくて
知って 理解して 愛されたい
愛は 肯定する
宇宙は パズルのすべてのピースを平等に愛する
さて
宇宙(全体・神)は 肯定する
否定する者をも 肯定する
否定もまた 宇宙(全体・神)の一部だ
宇宙(全体・神)は 肯定でもあり 否定でもある
宇宙(全体・神)は・・・
究極の
どちらでもいい
私たちは みな
全体であるもの(宇宙・神)が 肉体を選んで
その一部を毎回体験している
全体でもあり 部分でもあるものだ
私の痛みは
”否定”を否定していたからだ
私の一部を否定したからだ
全体である自分から 離れたからだ
分離の学びは
淋しさ 孤独 心配 恐怖
そして
・・・痛い・・・
この痛みから
卒業していこう
こんなことを書いていた
自分についてである
生きるために 他を否定せず
半生を 自己否定で生きてきた
この年齢になって ますます”否定”が痛い
誰かが誰かを否定することも それを聞くのも
心が・・からだが 痛い
否定からは 始まらず
否定は 笑顔を生まない
ひとはだれでも その時は
そうするしかない人生を生きてきた
過ぎてからふりかえれば
今なら決してしない選択も
私はたくさんしてきた
その人が その考えに至った道のりを想えば
私は誰をも 否定できない
お母さんのお腹の中から そして
生まれて目を見開いたときから
その人と同じものを見て
同じ言葉を聞き
同じものを食べ あるいは食べられず
今のその人であったなら
私も同じことを思い 話し しただろうと
そう思う
言葉の内容や 行動の善悪ではなく
そこに至った淋しさや 悲しみ・・
その選択肢しかなかったのは
そのひとの孤独からくるものだと思えるとき
その どうしようもない恐怖に向き合うとき
「さびしかったね」
「つらかったね」
「そうするしかなかったんだよね」
と 自分に言うように そう言うしかない
「そうね」と言いさえしたら
相手の中から するすると言葉とともに
抑えていた胸いっぱいの悲しみやつらさや出てきて
その奥から はじめからそこにあった素直な答えがポンと出てくる
みんな自分を 聞いて欲しくて
知って 理解して 愛されたい
愛は 肯定する
宇宙は パズルのすべてのピースを平等に愛する
さて
宇宙(全体・神)は 肯定する
否定する者をも 肯定する
否定もまた 宇宙(全体・神)の一部だ
宇宙(全体・神)は 肯定でもあり 否定でもある
宇宙(全体・神)は・・・
究極の
どちらでもいい
私たちは みな
全体であるもの(宇宙・神)が 肉体を選んで
その一部を毎回体験している
全体でもあり 部分でもあるものだ
私の痛みは
”否定”を否定していたからだ
私の一部を否定したからだ
全体である自分から 離れたからだ
分離の学びは
淋しさ 孤独 心配 恐怖
そして
・・・痛い・・・
この痛みから
卒業していこう