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おおよそ50年も前 17歳の時に
死ぬことに逃げ道を求めていた生活に区切りをつけたくて
13歳からの日記を 原稿用紙にまとめて
時給50円のアルバイトで 詩集を自費出版した
1万円を握りしめて向かった印刷やさんが
「原稿を1日貸してごらん。
おじさんが読んでみて、出してもよかったら、
1万円で本にしてあげよう。」
そうして 印刷屋さんのご厚意で出版されたこの詩集は
当時の新聞を賑わすことになり
近隣の中学校では道徳の時間に
私が在学していた高校でも 倫理の教材になったことは
私には思いがけない展開だった
自分を死に追い詰めていったそれは
生への渇望だった・・・
13歳から17歳までの
愛おしい私である
詩集のタイトルは「人ひとり」
巻頭にこう書いてある
ーそれは自分が選んだ道であったー
自分が選んだということを
私はなぜか知っていた・・・それが驚きである
久しぶりに見つかった詩集を読み返して
とてもいま おすすめできるものではないけれど
私の中に まちがいなくあの頃の私がいて
あの時の私が まちがいなく今の私につながっていると
あらためて そのあとの半世紀を思ったところである
青果市場の野菜のカゴに囲まれて書いた「はじめに」と「あとがき」で
17歳の私が こんなふうに言っている
ーはじめにー
(前略)
広い道、細い道、平らな道、デコボコの道ーとにかくたった一つの道を生きながら、私はいつかきっと自分の足跡をふりかえって撫でてみたい。そんな時が来るだろうと思っています。その時には、詩集というにはあまりにもおこがましいこれらのらくがきが、どんなに道からそれていようと、不完全な足跡だろうと、それはそれでその時の私にとってはせいいっぱいの足取りであったろうとなつかしく愛撫してやるつもりです。
(後略)
ーあとがきー
「何になりたいか。」と聞かれると、私はすぐに「平凡な人」と答える。
ひとは常に”得られぬもの”を求めるという。
私にとって「平凡な人」とは、その”得られぬもの”のひとつであるのかもしれない。
(中略)
人間にとって、その人がどんな道を通ってきたかということは問題ではないと思っている。
問題は、その道から何を得てきたか、そしてその人間の心が、それをいつか自分のものとして他人に分け与えられるだけの広さを持っているか否かにあるのではないか。
(中略)
どんな苦しみでも、自分一人が通る道ではない。この人生において、大なり小なり違いはあるが、自分と同じ種類の苦しみで悩む者がきっと出てくるはずである。その時こそ、人が過去において苦しんだことの価値を見出す時であろう。その時まで昔を思わせない”平凡な人”であることが、私の尊敬する人間像であり、また私の望む未来像でもある。
・・・・・・
ちなみに「山田安岐(やまだあき)」というペンネームは、
その頃憧れていた平凡の象徴として山田を選び(その頃は漫画でも山田さんが多かった)
安らかに岐路に立つという、これもその頃の願望だったにちがいない。
さてさて 50年が経過した今の私は、
17歳の私が望んだ未来像に
少しは近づくことができているだろうか
こんなものが出てくると
しみじみと 実感する
人生は 実に あっという間だ
ここを通過点として いよいよ
かつての私の「尊敬する人間像」をめざすことにしよう
そしていつか ここを去るときに
17歳の私に 合格点をもらいたいものだ