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孫のそらの言葉
カタコトだけれど
私は とっても うれしくて
とっても たいせつに思う
20年位前になるのかな
ブラジルやコロンビアからの人たちと
鉄工所で働いていたことがある
私は17~22時までの
変則勤務のアルバイトだった
彼らは日本語が読めないのに
部品の箱の注意書きは
ずっと日本語だった
だから あたりまえに
製品の不良率が ずっと高かった
日本語が話せないひとも多かったから
病院に行くのにも困り
会社の寮の不便さを訴えることもできず
子供が幼稚園に入れる年齢になっても
申し込めることさえ知らないでいた
彼らの言葉 ポルトガル語 スペイン語はもちろんのこと
中学校からの必須科目だった英語ですらおぼつかない私が
気がついたら 毎週彼らの寮に通って
日本語の勉強会を開きはじめていた
ところが
英語が必須科目ではない彼らとの
そもそものコミニュケーションがとれない
家の絵を見せて「これは家です」とは言えるけれど
「こんにちは」や「おねがいします」を
どう説明したらいい?
一番熱心だったのは 運転免許を取りたい男性と
赤ちゃんが欲しい女性だった
まず 私がポルトガル語を覚える必要があった
それからは 私が学びに寮に通った
途中 会社からは
彼らに日本語を教えないようにと
寮への出入りを禁止されたりしたけれど
彼らの毎週のパーティーや結婚式には
こっそり招待されていて 会話の練習は続いていた
そのうち わたしの家の留守電応対録音は
ポルトガル語になっていた
ある日 会社の部品の箱に
ポルトガル語で注意書きを入れてみた
驚くほど不良がなくなり
そのうち課長が 注意書きの紙を手に
「これは ポルトガル語でどう書くの?」
と聞きに来るようになった
またある日 いちばん彼らと接する係長に
単語を書いたメモを渡した
「ありがとう → オブリガード
さようなら → チャオ
ちょっと待ってください → デポイス
明日またね → アテ アマニャ 」
次の日 みんなが集まってなにやら興奮している・・・
「私が『機械の調子が悪いから見てください』と言ったら
係長が 『デポイス』と言ったの!!」
「ちょっと待ってね!」と待たされているのに
みんなのこの喜びよう・・・
私はその日の帰りに
また係長にメモを渡した
「自分の国の言葉で話してもらえた喜びは
自分たちを受け入れてもらえた喜びです
彼らはますます あなたのために
喜んで働いてくれるでしょう
本当に ありがとうございます
さて 次の言葉です・・・」
と・・・ しばらくこんなことが続いた
ビザの手続きのための書類や
アパートを借りたい人や
子供たちの入園手続きや
不妊治療の付き添いまで・・・(*´∀`*)
(その後 二人の赤ちゃんが生まれました~!)
その頃には 昼夜の入れ替えの夜8時になると
毎晩 私の作業机の前に30人以上の列ができるようになり
今から帰る人と これから働くひとが
ひとりひとり私にハグをしてくれるのです
「おつかれさま ゆっくりやすんでね」
「おはよう がんばろうね」
「おやすみなさい あしたまたね」
それが ポルトガル語とスペイン語と
来る人と帰る人と 男性語と女性語・・・
頭の中はグルグル・・・
けれど 言葉が通じるうれしさを
いつもあじあわせてもらった
言葉が通じない不便と不安を
わたしはすこしだけ知り
そして その何倍も
言葉で思いが伝わる喜びを知った
そらが わたしの手を強く下にひっぱりながら
「ちゃん! ここ ちゃん!」と言う
「ここに すわるの?」と聞くと
「うん♪」
よかったね そら
言葉が通じて うれしいね~
(追伸)
話せる人同士が じっと見つめ合って
心を通わせるのはすてきなことだけれど
話せない人と見つめ合って
こころを通わせ合うことができたら
もっとすてきじゃないかと・・・
話すことができないのは
障害者といわれている人たちばかりではなく
私たちは 生まれたときは みんな 障害者
話すことも 立つことも 食べることもできない
そして 老いていく時もその戻り道
大人は 身振りや 文字や 手話や 目の訴え・・で
伝えることもできるけれど
赤ちゃんは そのどれもできない
どんなときも ただ 泣くだけ
この不自由さを忘れてしまった大人たちが
赤ちゃんの泣き声に ちゃんと向き合って
話せない人と見つめ合って
こころを通わせ合うことができたら・・
そういえば この間 博多駅で
ママの足にしがみついて訴えている3歳位の女の子の泣き声に
胸が痛くなって いつのまにか私は二人の後をくっついて歩いていた
「おねがい ちょっとだけでも 話をきいてあげて」
と言いたくて 言えなくて 涙が出そうだった
何十年か前の私も 忙しくてこのママと同じだった
いや もっとだったかもしれない・・・ と
子供の気持ちと ママの気持ちを行ったり来たりしながら
たまらなく悲しくなってきた・・・
いま
そのためには 子育て中のお母さんに まず寄り添って
「待てる子育て」ができる環境づくりをしていくことが
必要だなと つくづく思う今日このごろです