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20年近く前のこと
仕事を辞めた翌日のことでした
朝食の納豆ご飯を食べている時(食べ物の記憶は残っているのですね)
突然 市営住宅のわが家に
沢山の人がおしかけてきて
階段に並んで順番待ちをするということが始まりました
もちろん 治療家ではない私は
黙って入ってきて しばらく座ったり寝たりする人たちに
名前を聞くこともなく 触れるわけでもなく
タオルケットをかけたりするだけで
みんな勝手に癒やされていったのです
そんなことが起こり始めた頃の私は
誰かの言葉で傷ついたときは
記憶を手放す
時間を巻き戻す
相手からその言葉を聞く前の状態に
自分の心を戻す・・という感じで
現実を変えていました
そうしているうちに
膝が痛む前の状態に戻したりすることが
誰でもできるのだと気がついて
歩けなくなった自分に試してみたりしました
ある時 初対面の方と
博多のデパートの前で 待ち合わせたことがありました
その方が足をひきながら 歩いてくるのを見て
思わずひざまずいて
「この足はどうなさったのですか?」
「もうずいぶん前に、海に落ちて船と船の間に挟まれて、それからずっとこんなです。」
「ここは痛みますか?」「ここは?」と聞きながら
「痛くない方の足を感じてみて下さい。ここは以前は ここと同じように痛くなかったのですよね?」と
痛まない方の足の感覚を 痛む所に移しました
その瞬間から 痛みが消えて・・足踏みをして・・
事故の前の足に戻って いっしょに食事にいきました
追いつけないほどの速さでした
そんなことが 毎日起こったのです
そのうち お話会で話しているうちに
または絵の展示会で雑談している最中に
いっせいに癒しが起きるようになりました
お話会でヒーリングセッションを求められるようにもなりました
その頃 名刺が必要になって
初めての名刺に「癒しの部屋」と入れた瞬間
まちがえた!と思ったのです
私が癒そうとすれば 私に癒やされる人を創ることになる・・
という直感でした
送られてきたその名刺を廃棄して
私も 癒やしの体験を卒業しました
その後は
思いと言葉と行動の 現実創造とのつながりについて
そしてまた 時空間の学び
上りの新幹線から 下りの新幹線にテレポートしていたり
時間が前に戻ったり
ロシアで見えなくなった指輪が東京で出てきたり
目の前のものがいきなり消えたり
棚の高さが一瞬で変わっていたり・・
目や頭がどうにかしたのではないかと思う10年間くらいを経て
身体とは? 痛みとは? 心とは? 時間とは?
在るとは? 距離とは? 見えるとは? いのちとは?
すべての価値感と概念がリセットされて
しかもすべてが常に変化し続けていることを感じます
なので 手放しても手放しても
手放しきれないので
「これはこういうものだったのだ。気がついてしまった!」と
あらたな概念をつかまえてしまわず
「私は 今こう思っている」という認識になりました
それは 「あなたがいま そう思っていてもかまわない」 という
おおきな解放でもありました
「時」は すべてここにある・・という感覚
「過去」「現在」「未来」というステージが
同時にここに浮かんでいて
体験したいステージを選択している・・ということ
「すべてが必然で 無駄はなく
すべてが正しく 失敗はなく
すべての感情は 愛である」
これが今の私が
思っていることです
自分も まわりも この足元も
変化の真っ只中です
変化しないものは ひとつもありません
変化の時期を選んで生まれてきた私たち
変化をこわがらずに
変化を楽しみましょう
ご一緒させてください