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(「新 生」)
先が見えないということは
こわいことだと思っていた
そのあと
先が見えていたら
もっとこわいことだ と思った
いつからか 先が見えないことは
楽しみなことだと思うようになった
そして 変化の時 いま
先が見えていたら
実は もっと楽しみだ ♪
けれど ほとんどが
変化を望みながら
変わることを怖れている
新しくなりたいと思いながら
いま手の中にあるものは
失いたくないと思っている
古いものをつかんでいたら
新しいものは 通りすぎていくよ
持っていると思いこんでいるものを
失うまいとやっきになっていると
新しい出会いや 智慧や 体験のチャンスが
頬をかすめても気づかない
懐かしくて たいせつな思い出は
つかまなくても残っていくから
安心して力をぬいていいよ
力をぬいて 演じるのをやめて
選ばれてゆるされて 必要とされたその個性を
ひょうひょうと もくもくと
自己満足と感謝で生きればいいよ
そのしあわせが もしも
ひとの役に立つなら
さらにさらに しあわせなことだ
これから必要なものは 必ず与えられる
「ない」という体験のためには
なにも与えられないのではなく
「ない」という与えられかたで
必ず与えられている
自分が選び
自分が自分に与えているのだよ
いつも もっともよきものが
完璧なタイミングで与えられていることが信じられたら
何かが足りないと思うことも
先を心配することもない
死ぬまでは
必ず生かされるし
生きている間は
たった今を
生ききればいい
NHKの「みんなのうた」で
石川さゆりさんの「もういいかい」
という曲が話題になっていると
今朝のテレビでやっていた
彼女に「天城越え」を書いた作詞家吉岡治さんが
病床から「この詩は君にあげる」といって
遺作となった詩
「・・・夏と秋と 夏と秋と・・」
と くりかえすフレーズが
夏と秋を行きつ戻りつする
ちょうど今の季節感にぴったりなのと
新しい時代に移り変わるわたしたちの心や波動が
レースのカーテンのように揺れているのと重なって
人の一生 人生の山や谷・・・
さらに 作詞家の病状の一進一退とあいまって・・・
「♪もういいか~い・・・もういいよ~」
というくだりでは
胸があつくなって涙がでたのは
私だけではないでしょう
作詞家は
ご自分に言ったのではないでしょうか
「もういいよ~」
私も最期に言われたいものです
「♪もういいか~い・・・もういいよ~」
家族やともだちからも
見守ってくれている存在たちからも
もちろん 自分からも
それは
ひとつの季節の終わりのさびしさと
新しい季節の準備が整った安堵ではないかと・・・
石川さゆりさんの「もういいかい」
という曲が話題になっていると
今朝のテレビでやっていた
彼女に「天城越え」を書いた作詞家吉岡治さんが
病床から「この詩は君にあげる」といって
遺作となった詩
「・・・夏と秋と 夏と秋と・・」
と くりかえすフレーズが
夏と秋を行きつ戻りつする
ちょうど今の季節感にぴったりなのと
新しい時代に移り変わるわたしたちの心や波動が
レースのカーテンのように揺れているのと重なって
人の一生 人生の山や谷・・・
さらに 作詞家の病状の一進一退とあいまって・・・
「♪もういいか~い・・・もういいよ~」
というくだりでは
胸があつくなって涙がでたのは
私だけではないでしょう
作詞家は
ご自分に言ったのではないでしょうか
「もういいよ~」
私も最期に言われたいものです
「♪もういいか~い・・・もういいよ~」
家族やともだちからも
見守ってくれている存在たちからも
もちろん 自分からも
それは
ひとつの季節の終わりのさびしさと
新しい季節の準備が整った安堵ではないかと・・・
最上階に住んでいる私の家の屋根で
ガガガガ…と工事が始まった
このあいだ突然
[屋上に携帯電話用の中継局を
設置することに決定しました]
という紙が全戸配布されて
8/29から9/14までが工事期間です
頭の上にアンテナが建つらしい…

[29~31日は基礎工事のため振動騒音が・・
期間中 停電もあり
大型クレーン車が停まるので車の移動も…
お忙しいのにすみません]
と書いてあります…mmm…
読んだ時は
お忙しいのにじゃあないでしょう?

放射性物質の汚染で
水も土も
空気さえ安心して吸えなくなっているのに
このうえ 電磁波?
([怒り]は他の分まで足し算になる

頭痛…めまい…吐き気…
仕事ができない…引越し?!!

た~いへん!…と
起きてもいないことを妄想して
家探しまで暴走してしまった!
いやはや
まだ起きてないことで悩むクセが
まだあるなぁ

古い価値判断を手放す練習 練習

闘わないで仲よくしましょ

と決めたら気も軽くなったところに
[「放射能は怖い」のウソ]という本がきた

思っていることを目の前につきつけられるなぁ
心配していれば ますます心配な情報ばかりがくる
心配から離れると 安心だという情報がくる
そのうち
[電磁波は 脳を活性化して覚醒させ 美容にも若返りにも有効!]
というような情報がくるかも

[そうらしいですよ]
なんて言葉が早くも飛び込んできた
今までの常識で
悩んでいるひまがなくなってきた
日に日に
すべてが新しくなってきている
変化の波が大きく動き始めて
すべてが 想定外!
想定外なんだから
今の頭で考えたってムダ
驚いているひまに
次の驚きが来る
入れ替えるひまもない
いっそのこと
全部いったんカラにして
すべてを初めての体験みたいにワクワクして
価値判断なしに見てみよう

1才の孫の青空(そら)のように

と リベラの祈りのCDをかけながら

透明な声が心に広がって


喜びと感謝に満たされて……



と そこに いきなり天井から
ガガガガ…ダダダダと始まったわけですよ
この暑いのに
どんなにがんばってるのか見てみようと
ベランダに出たら…
な~んて きれいなの~

あんまり 空が青くて…はぁ~

雲は自由に天空にアートして
なんて生き生きとダイナミックに
屋根の下で考え悩んでいるひとを
外に誘っているのかと…
[空を見てごらんなさい]と
あのガガガガがおしえてくれたんだね

ありがとね

すっかり気分よくなってしまって
工事の作業を見るのも忘れて
空の写真を撮り続けました
気がつけば
私は三方を山に囲まれてくらしています
富士山を背にして立つと
右手から左手まで
ぐるりと山に囲まれて
目の前に開けた先には駿河湾があり
その先の伊豆大島と富士山を結ぶ線上に
三嶋大社と私の住まいが一直線につながっています


ああ
いいところに住まわせていただいているなぁ

感謝だなぁ~

そんなきょうでした
8月ももうすぐ終わりですね
2011年の2/3が終わります
今年は折り返しターンの年ですよ

来年に向けて 毎日断捨離
あと1/3で
どれだけ軽くなれるかな
生まれ変わるチャンスを見逃さないように
自分の感情の動きを
しっかりチェックしようと思います
[問題も答えも
すべてはあなたの内側にある]
(つながっているいのち)
1996年、今から15年前の3月11日、
私は米国アリゾナ州のセドナにいました。
セドナがどこの国にあるのかも知らなかった私にとって、
導かれて始まったあの旅は、毎日がミラクルの連続でした。
信じられないような出来事はとても書ききれないので、
いつかまた お話会などで おいおいお話ししていくことにして、
今日はその中でひとつだけお伝えしたいことがあるのです。
ポピの村を訪ねたときのこと。
白人によって彼らは住んでいた土地を追われ、
貧しくも信仰深く戦わずに生きることを選んで、
何度も、どこまでも、追い払われて、
不毛の土地に甘んじて生きてきたと聞いています。
彼らは、神様からの言い伝えで、
「大地を掘って、ひょうたん(ひょうたん雲→原爆のこと)をつくってはいけない」
と言われていましたが、
白人の命令で、その土地のウランを掘らざるを得ませんでした。
そのために、彼らもいまだに白血病やガンに苦しんでいます。
日本が被曝する以前に、彼らが最初の被曝者になっていたのでした。
とある小さなみやげもの屋さんに入ったときのこと、
その店のおじさんが私に「日本人か?」と聞くのです。
「そうです」と答えると、おじさんは帽子をとって、
「ごめんなさい」と言うのです。
「どうして?」と聞くと、
「私がウランを掘って、原爆を作った。」と頭を下げるのでした。
ウランを掘ったのは彼ではなくて、彼の親の代でしょう。
としたら、かれらも被曝者として、また被曝二世として苦しんできたはず。
自分たちの国のやったことは、自分がやったこととして、
日本人に対して責任を負う、その姿勢に強くうたれました。
そしてそれは、広島の平和公園に刻まれている
あの言葉に通じるところがあると思いました。
「安らかに 眠って下さい
あやまちは 二度とくりかえしませぬから」
この言葉が被曝地に掲げられていることが、
私の 日本人としての大きな誇りでした。
被害者ではなく、「私がやりました」という、
人類としての責任感を日本人はもっているという誇りです。
被曝して66年目、日本は三度目の被曝です。
放射性物質は、日本だけでなく、
たくさんの国の空や海を汚染しました。
空が汚染されるということは、呼吸する空気だけでなく、
森や土や地下水を汚すということです。
川や海が汚れるということは、生態系が壊れるということです。
セドナのみやげもの屋のおじさんの、一旅行者の私への深いわびの心や、
あの広島を生き残った人々が、亡くなった人たちに誓ったように、
「あやまちは 二度とくりかえしませぬから」という思い、
「それは、私がやりました。」という、その時そこに生きた者としての反省が、
どう生かされて、何を選択していくのかを、
今 世界中が日本をじっと見つめています。
日本は、あの原発事故から半年もたたないうちに、
泊原発を稼働させることを選択し、許可しました。
私は、少なくてもセドナのあのおじさんに、
たくさんの「ごめんなさい」を言わなければなりません。
「あなたや動物たちの吸う空気を汚して ごめんなさい。
土や水や食べ物を汚染して ごめんなさい。
そして あなたのたいせつなひとたちを
これからも不安にさせて ごめんなさい。」 と。
(追記)
泊発電所3号機は、2011年3月7日に調整運転として再稼働し、8月17日に正式な営業運転に移行したが、2012年5月5日23時3分定期検査のため停止された。定期検査は71日間かけて実施される予定であったが、原子力安全委員会の再稼働許可が出ていない。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%8A%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80)