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一昨日のこと

どうしても翌日の午前中に届いてほしい荷物を出しに
郵便局へ行くことに

雨が降り出す前にと
大急ぎで顔を洗って 着替えて外へ

エレベーターを降りたら
知らない男性が立っていて 
普段の生活ではありえない満面の笑顔で
「こんにちは~♪ 雨が降っていますから お気をつけて~♪」
と いうではないか!  

一瞬とまどって(ドッキリカメラ?)
「あ、 どうも・・アリガトウ」
どこかのお店に入ったかと錯覚するほどの
みごとな営業スマイル!
見ると 片手にまあるいものを捧げ持っている

外は「あらぁ~!!」と思わず叫ぶほどの 
大雨になっていた
軒下に ピザやさんのバイク・・・

(どうする?) 
(やめないよ 明日届いてほしいもん
 あとにしたら もっとひどくなるかもしれないから
 いま行かなきゃ!)

しばらくこんな目にあったことないぞ というくらいの
たたきつけるような雨

車まで ようやくたどりついたけれど
さっき塗ったばかりの乳液が手についていて
すべって傘がとじない(アセアセ)

傘はとじても パッチンというまでしまらないので
大雨の中 閉じそうで・・また開いちゃったりをくりかえして・・
しまいには びしょぬれの傘を はがいじめにして
ようやく パチッという音が聞こえたときには
開けたままのドアも 座席も もちろん自分も 
滝行(たきぎょう)か?というほど・・
水もしたたりすぎるすごい女になっていた

座席にすわって 孫のお昼寝用のバスタオルで
まず 車をきれいに拭いてから
びっしょりな自分の頭と全身を・・・・

ワンピースが足にへばりついている

(やめる?)
(やめないよ~。これ以上降ったら出られなくなっちゃうもん)

・・・と!・・( ゚Д゚) 気がついてしまった!

暗いところで大急ぎで着替えたから
ワンピースが裏がえしだ!・・・
おっと!・・太モモの脇には 大きなタグまでついているではないか!

(やめる?)
(やめないよぉ! こんな天気じゃ郵便局には きっと誰も来てない d(*^-^*)♪)

バスタオルで拭き終えたころ
さっきのピザ屋さんが出てきて
再びあの笑顔を残して プロの根性見せつけるように
さっそうと びしょ濡れで 雨の中に消えた

(やめようか)
(やめないよぉ もうびしょぬれだからいいじゃん)


郵便局に着いたら 予想に反して・・

お客さんが雨宿りしていて 
いっぱいいた!( ゚Д゚)

やっと空いた駐車場にバックして停めるのに
雨がざんざん降りで ラインが見えない

しかたなく窓を開けて 「シャンプーか!」と言いながら
このころには笑えて(笑うしかなくて)
ようやく駐車して
荷物を濡らさないように お腹の下に抱えて
走って行ったら メガネが濡れて何にも見えない!・・・アラァ~

で・・・その時には 服が裏がえしのことも
タグのこともすっかり忘れて・・・

用を済ませて 家に帰ったら
車から降りるときには 

もう 晴れてた (゜.゜)


人生の中で 
こんなこと たびたびあったなぁ
 
「時を待て」の合図が何度もあったのに
「待てば きっとよくなる!」とは信じられずに
「今を逃すと もっと悪くなる!」と思えて

流れに逆らって 無理して逆らって 
さらに逆らって・・・結果 

「無理してやらなきゃよかった」と思ったこと・・・

 
なんだか 若いころ うんとがんばっていたころ
自分を信じてもいないくせに 我(が)が強く
休むことや 待つことや 出直すことができなくて
がむしゃらに突き進んでいたあのころの自分を見たぞ♡

なんどもなんども こんな経験をして としをとって
ようやく なんにでも「その時」があることを知って
「おまかせ」や「ゆだねる」ことができるようになった・・ハズナノニ

きょうはまるで・・若がえったみたいだ~!(*'▽')v
なつかしくて いとおしい私♡ 

こんな私も すきだな♡
きょうは すごく楽しかったよ~♪ って
アホ自慢したくなったので 書いてみました


おあとが よろしいようで・・・・






~ひとの心に灯をともす~より
「生きてるだけでエリート」

http://ameblo.jp/hiroo117/entry-11907664120.html

テーマ:村上和雄
筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…


学校名や会社名にはじまって、成績、器量、性格、貯金、つきあった異性の数、着ている服のブランドなど、とかく人は、他人と比較しがちです。

その結果を正しい努力に振り向けることができれば問題ないでしょうが、「だから俺はダメだ」、「だから私は不幸だ」と、自分に限界を設け、卑下するだけで終わってしまうことが往々にして見られます。


人と比較したら、差が出てくるのは当然です。

勉強が得意な人、そうでない人、100メートルを走らせたら速い人、遅い人、身長の高い人、低い人、異性にもてる人、もてない人…。

それは現実として受け入れるしかないことで、比較することに意味はありません。


進化や遺伝子というレベルで考えれば、38億年という気が遠くなるような長い時間をかけて進化を遂げてきたのは、他人と比較するためではありません。

しかも、あなたと誰かとの違いは、ゲノム的に見れば、たった0.5%程度です。

99.5%は同じ遺伝子を持っています。


そのわずかな違いを比較して、ああだ、こうだと気に病んだり、一喜一憂したりするのではなく、この世に生まれてきたこと、そして生かされているということがどれほどありがたく、奇跡的なことなのか、そのことに感謝して、元気に、明るく、前向きに生きていくべきです。

すると、自分にはやるべきことがあるのではないかという使命感のようなものが生まれてきます。

しかも、人と比較して、いい、悪いという判断の基準になるものは、現在の価値観です。


いまの価値観だけで判断しても、次の時代には、それが反対になっていたり、無効になっていることが大いに考えられます。

地球や生命の長い歴史から見れば、そうした比較自体にはさほど意味はありません。

私たちは、もう少し長い目でものごとを見る癖をつけたほうがいいと思います。


これは北里大学の教授に聞いたことですが、東日本大震災の直後の大混乱の中でリーダーシップを発揮してがんばったのは、日ごろは悪ガキのような、それほど成績のよくない学生だったといいます。

非常事態が起きたとき、偏差秀才はあまり役に立ちません。

マニュアルがないと、彼らは何もできないからです。

逆境の中でがんばれるのは、むしろおちこぼれ気味のような人たちなのです。

秀才タイプは正常時には優秀かもしれませんが、不測の事態が生じたときには対処できません。


おごってはいけませんが、38億年という長い進化の果てに存在しているということは、それだけでエリート中のエリートなのだといえます。

それぞれの人が、それぞれの人生における金メダル候補です。

ですから、人と比較するよりも、自分が何をできるか考えたほうがいいのです。


人と違っていていいのです。

むしろ、遺伝子的には、少しくらい違っていたほうがいい。

その違いによって生物は多様性を確保し、それによって進化が促されてきたのですから。

人と違うことで悩む必要はありません。


『望みはかなう きっとよくなる』海竜社





38億年の長い進化の果てに、我々が生を受け、今ここに存在しているということは奇跡にも近いこと。

ありえないような奇跡の確率で我々は生まれてきた。


さんまさんの名言に、「生きてるだけで丸儲け」がある。

生きてるということだけで、我々は選ばれたエリート。

だからこそ、今ある当たり前の日常に感謝することが必要だ。


嫉妬やねたみ、不平不満、あるいは逆に、優越感や威張ることは、他人との比較から生まれる。

比較からは感謝は生まれない。


今あるあたりまえの日常を感謝の気持ちで過ごしたい。




お盆ですね

孫たちと お寺に行きました

掲示板に こんな言葉が書かれていました




このお言葉のたいせつな意味や
今の状況をどのように考えるか
そんなやりとりのあと いただいた紙には
こんなお言葉がありました




それから 朝霧のお墓に・・・

孫の青空(そら)は 率先してお水の係
花立てにも なみなみと水を注いでくれます
1歳3か月の心(ここ)は
初めて自力で歩いてお墓参り

墓石には 建立者に私の名前が
まだかすかに朱墨のあとが残っているけれど
これに黒墨が入るのは いつのことか

墓石を拭きながら 
まるで自分の体を拭いているような・・・
孫たちと一緒に
自分にお香をあげているような・・・

ふしぎで おだやかな

しみじみ しあわせな
 
ありがたい一日でした

合掌





小さい時から、 私の声は小さい、聞き取りにくい。
だから、学校でも答えがわかっていても、手を上げられなかった。
「聞っこえませ~ん!」と言われたくなかった。

おとなになっても、大勢の人がいるところでは話さなかった。
いまだに、大きな声の人がいると、私は無口な人になる。(*^-^*)

ずっと、こんなふうに思っていた。
「小さな声の人が、大きな声を出すよりも、
 大きな声の人が、小さい声で話すほうが簡単じゃないの?
 声が小さい人と話す時は、小さい人に合わせてくれたらいいのになぁ。
 耳をすませて、聞こうとしてほしい。」って。

音や光が平気な人が、敏感な人に合わせることは簡単。(*^^)b
その人をわかろうとすれば。
友だちになろうとすれば。

みんなが同じじゃなくてあたりまえという視点が、
いよいよ大切になってきた。

「みんな 普通なんだよ。
 普通はいっぱいあるんだよ。
 自分と違うのは普通じゃないって思うのは、失礼なんだよ。
 みんな、それを選んできたのだから。」

息子がまだ少し会話ができる頃、
私に言ってくれた言葉です。

私にも、できることはたくさんある。(*^-^*)b


自閉症の人生:それはあなたが考えているものとは違う
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=166&id=3004370&from=home&position=2

Doctor Stu's Science Blog:コーヒーカップがカチンと鳴る音が、時計台が鳴る音より大きい世界を想像してみてください。道行く人のつぶやきが、ワールドカップの歓声より大きいところを想像してください。あるいは、電気スタンドが太陽より明るかったり、腐った魚の匂いが一日中つきまとったりするのを...。これが感覚過敏の世界です。
自閉症にはさまざまな種類がある


自閉症の人生がどんなものか、ちょっと想像できないでしょう。「自閉症」と聞くと、1980年代の映画「レインマン」でダスティン・ホフマンが演じたキャラクターを思い出すかもしれません。彼は社会的ひきこもりで、知的には天才でした。あるいは、叫んだり、体を揺すったり、頭を振り続けている哀れな子どもをイメージするかもしれません。過度に単純化されたこうしたステレオタイプは、自閉症がいかに多様性に富んでいるかを示しています。自閉症とはひとつの状態ではありません。状態の「スペクトル」なのです。これが、自閉症が「自閉症スペクトル障害(ASD)」と呼ばれようになった理由です。英国では100人に1人がASDと診断されています。つまり、あなたの知り合いでの中にも自閉症の人がおそらくいます。たとえあなたが気づいていないかったとしても。

自閉症の人は馬鹿ではありません。ちょっと見ただけでは自閉症の人を見分けることはできないでしょう。自閉症は「隠れた能力障害」とも呼ばれます。この症状をよく表している言葉です。

自閉症の人の中には、学習障害やコミュニケーション障害を抱えてる人もいます。しかし、高い知性を持ち、仕事で成功している人もいます。映画みたいな特殊な能力を持った人は非常にまれです。ASDのすべての人に共通することは、社会生活の困難さです。人の言葉を文字通りに受け取ってしまったり、しぐさの意味を理解できなかったり、場の雰囲気が読めなかったりします。自閉症の人の多くが、世界を全く違ったように経験しています。「感覚過敏」に苦しむ人たちもいます。すべての感覚が極限まで敏感になり、ちょっとした音、目に入る情景、匂いが、苦痛に満ちた大混乱を引き起こします。子どもが自閉症的「かんしゃく」を起こすのは、注意を引くためではありません。突如として苦痛の固まりとなった世界から、なんとか逃れようとする痛ましい試みなのです。


彼らが見ている世界は違うと認め、尊重する

自閉症は、一生にわたる症状です。治療法も原因もわかっていません。しかし、自閉症の人たちが生きやすくなるために、私たちができることはたくさんあります。アスペルガーと呼ばれるタイプの自閉症をもつルーシーという女性の例を見てみましょう。

彼女は、学問的な才能に恵まれた女性です。厳格な日課を持ち、興味の対象は限定され、身体的に不器用で、社会的困難を抱えています。ある日、彼女は病院を訪れました。看護師による問診を受けたあと、「外で座ってお待ちください。医師がすぐに参ります」と告げられました。ルーシーさんはその言葉を文字通り受け取りました。数時間後、病院の守衛が発見したとき、彼女は待合室ではなく、病院の外にある公園のベンチに座っていました。

ルーシーさんの事例が示すように、自閉症の人に対して、シンプルで明確な言葉を使えば、誤解の多くは避けられます。彼らは、無口で、無作法で、思いやりのない人間に見えるかもしれません。しかし、大抵は、社会のエチケットが身についていないだけです。パニック的な攻撃性、暴言、異常な行動は、恐怖というよりは痛みの表現です。自閉症の人にとって、世界を別の視点で見ることは大変難しいことです。そして、私たちができる最良のことは、世界を別の視点で見ることです。自閉症の人が生きている世界は、私たちが感じている世界とは違うことを認め、そのことを尊重するのです。


Life with autism: it's not what you think|Doctor Stu's Science Blog

Stuart Farrimond(訳:伊藤貴之)


お友達が今日、私の2012.11.21のブログをタグ付けしてくださったので、
今 もう一度お伝えしなさい。という合図かな?と思ったので、
そのままご紹介してみます。


2012.11.21のブログ
1分で感動 Blog Archive お母さんの宝物

とても感動しましたので
紹介させていただきます


致知2012年12月号特集「大人の幸福論」より
助産師として33年、2600人以上の赤ちゃんの
出産に立ち会ってきた内田美智子さんの言葉

自分の目の前に子どもがいるという状況を
当たり前だと思わないでほしいんです。

自分が子どもを授かったこと、
子どもが「ママ、大好き」と言って
まとわりついてくることは、
奇跡と奇跡が重なり合ってそこに存在するのだと
知ってほしいと思うんですね。

そのことを知らせるために、
私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。

そのお母さんは、出産予定日の前日に
胎動がないというので来院されました。

急いでエコーで調べたら、
すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。
胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。

早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。
でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは
大変なことなんです。

普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、
ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって
「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」
と励ましますが、死産をするお母さんには
かける言葉がありません。

赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、
死産のときは本当に静かです。
しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。

そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後
「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。

明日にはお葬式をしないといけない。

せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。
私たちは「いいですよ」と言って、
赤ちゃんにきれいな服を着せて、
お母さんの部屋に連れていきました。

その日の夜、看護師が様子を見に行くと、
お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、
子どもを抱いていました。

「大丈夫ですか」と声をかけると、
「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。

よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、
赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。

死産であっても、胎盤が外れた瞬間に
ホルモンの働きでお乳が出始めます。

死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を
飲ませて止めますが、すぐには止まりません。

そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたら
じわっとお乳が滲んできたので、
それを飲ませようとしていたのです。
飲ませてあげたかったのでしょうね。

死産の子であっても、お母さんにとって
子どもは宝物なんです。
生きている子ならなおさらです。

一晩中泣きやまなかったりすると
「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、
それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。

母親学級でこういう話をすると、
涙を流すお母さんがたくさんいます。

でも、その涙は浄化の涙で、
自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。

「そんな辛い思いをしながら子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」
「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」
と前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。




ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


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