カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
3 4 5 6 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22
24 25 26 27 28 29 30
  月別記事(直近3ヶ月)
  記事順序
古い記事からご覧になりたい方は、下記のページへお入りください。

http://blog2.yumekosan.com
  プロフィール
   Author:   Yumeko
    HP:   ヒーリングアートYume
  ブログ内検索
  ブログ@携帯
 


今朝がた 

静かな夢を見た


わたしは 娘の目でまわりをみていた

娘も わたしほどに年をとっていた


そこには もう

わたしはいなかった


けれど

娘が見るものすべてに 「わたし」は いた


部屋にも 

家具にも 

空気の中にも

家のなかにも

家の外の なにもかもに 

「わたし」は いた


道路にも 

電柱にも

夕陽にも 

夕焼けの空にも

見えるものすべてに 

「わたし」は いた


「わたし」は

世界のすみずみにまで広がっていて

わたしを想ったとたんに それは感じられた


わたしは娘として 

立ちつくして夕陽を見ながら

「わたし」を感じていた


部分としての肉体を離れたら

全体として 「わたし」は 

ずうっと ここにいる・・・


長い時間

時が止まったアルバムをめくるように

この世界の景色を見ていた


そのどこにも

「わたし」がやどっていた


見えるもの すべてが

なつかしくて


いとおしかった・・・


わたしは ずっと

「わたし」とともにいた・・・



やすらぎのなかで

目ざめた・・・



大晦日の朝だった








(娘のFB記事から)
結婚を機に泣く泣く越した部屋が空いています。
富士市松岡。柚木駅から徒歩7.8分です。
20畳のLDKとたっぷり収納と広々お風呂が自慢でした。
富士方面でお部屋を探している独身の方や新婚さんに、特にオススメです!
二階、63㎡、63000円。

http://www.apamanshop.com/detail/20141107187207/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

LDK20帖!ウォークインクローゼット3帖!ロフト付き~!
二重サッシ!24時間換気!日当たりのいい 明るい家です!!
静岡方面への車通勤にも便利です!

実は 私もこの家の1階に住んでいました

はじめから二世帯用に 玄関もお風呂も台所も
光熱費のメーターも別々に作りました

1階は私が設計して 
今でも自慢するほど住みやすい開放的な家です
ところが 出来上がってみたら 
2階は さらに開放的な家でした (◎o◎)!

この家が出来るのには
こんないきさつがあったのです

10年くらい前に上京した時の 作曲家の片岡慎介さんとの会話
「ゆめこさんの願望実現のCDを作りましょう!願望は何ですか?」
「私 これ以上の願望はないのです」
「そういわないで なにか考えてみてください」
「それでは・・葉祥明さんが「そろそろ本を・・」と言ってくださったので
 本を出すというのを願望に・・」

ところが その日乗せていただいた車の中で 
ご一緒した女性の方たちに 次々とラッキーな電話が・・・。

「私たち 来年の4月頃には すごいことになりそう!
 そんなにお金が入っちゃってどうする?」
「ゆめこさんの本を出しましょうよ♪」
という流れになったので

片岡先生に「もう実現しそうなので CDはけっこうです」とお伝えしたら
「せっかくですから もうひとつ願望をつくりましょうよ!」とおっしゃるので 
「ん~(そのころ1人暮らしをしていた娘と)一緒に暮らす家があれば・・・」と
お伝えして家に帰ったところ

その夜 めったに電話をかけてこない娘から電話がかかってきて
「お母さん 家を建てようと思うので一緒に住まない?」と! ( ゚Д゚)

ふつう 女手ひとつで・・の「女」は 母親をさすのでしょうが
うちの場合は 娘をさすのです・・・(*_*;

半年後にこの家が建ちました。

この土地は 4区画の中で2羽のモンシロチョウが飛び回って
「ここよ~♪」とおしえてくれて選んだところ

この家は 建設会社に勤めていた息子が手がけ
小さいころから大工さんになりたくて
中学の卒業式を待ちきれずにその道に入った棟梁が建ててくれた家

棟梁は 20歳でもう仕事を任されて その後何十年間 
毎晩次の日にあそこをどうしてやろうか♪と思うとワクワクして眠れない♪
ましてや仕事に行きたくないなんて1度も思ったことがない
夜がなければずうっと仕事していたいという 
大工になるために生まれたような人
その人が 毎日楽しそうに大声で歌いながら建ててくれた家

建築中に台風が何度も来たけれど
木っぱひとつ飛ぶことなく
毎日仕事を終えるときの後片づけを見れば
どんなにこの仕事に誇りをもって
どれだけ材料をたいせつに思っているかが
一目瞭然でした

この棟梁に恵まれたことは
私たちの誇りでもありました

家の受け渡しの日には 
今度は2羽のアゲハチョウが
家の周りを飛び回って祝福してくれた家です


その家の台所で作った初めての食事にご招待した時
奥様からという大きなカトレアの鉢植えをさしだして
「何か月も楽しませていただいて 女房も喜んでいます。
 本当にありがとうございました。」
と言われたのには泣けました (T_T)

娘が奮発してつけた緑の大きな玄関ドアは
私もとても気に入っていました

家の周りの花壇づくりのために石を掘り起し
玄関までの道に 白い小石を敷き詰めたのも私です

「花は 白と黄色と紫だけにして」という娘のリクエストにこたえて
玄関前に咲いてくれた花の渦巻くようなエネルギーは
今でも写真の中に残っています

天井が高く エネルギーのいい家です
お風呂から 富士山が見えるというおまけつき!

おすすめ物件です!!


ちなみに1階の私の家は いま
警察官の一家がもう9年くらい
一度も入れ替わりなく 
ずっと住み続けてくれているようです


(この建築を扱った長男から追加フォローがありました。)
耐震等級3(最高等級)で
浴室1.25坪洗面も通常サイズ750ミリが 1200ミリを使ってたよね。
キッチンはヤマハで長さ2600ミリ。
メートルモジュールで全ての空間が広いし
天井高さは2400が普通だけど、2600あったと思うよ。
フローリングはワックスフリーだし階段もゆったりだったよね!







愛は種を超えて
本当は はじめから垣根がない世界・・・


そういえば
こんなプレゼントをもらったことを おもいだした♪

ずっと前に
水戸の友人の家を訪ねたとき
その家の裏に 湖が広がっていた

翌朝 湖のほとりにすわっていたら
遠くにいた白鳥の群れの中から
大きな一羽が近づいてきて
水から上がり・・私のとなりにすわって
私にからだをあずけてきたことがあった

私も白鳥にもたれて
羽根の中にぬくぬくと埋まりながら
彼?彼女?が 
長い首を伸ばして真正面から私をみつめて
「それからどうしたの?」と
話の先をうながしてくれた・・・

あの時の20分ほどは
夢のような時間だった・・・


またある時は
「富士山こどもの国」に勤めるのが今日で最後という日
園内の駐車場から門に向かう道で
はじめて野生の鹿に出会った

2頭の鹿が 私の車の前に立って
私の車を止め
「おいで」というので
エンジンをかけたまま
ドアもあけたままついていったら
他に三頭が待っていた

5頭と私の 計6頭でまあるくすわって
それからの時間は どれくらいだったのだろう

「今日が最後だから 姿を見せてくれたの?」と私が言うと
「四年間 おつかれさま
 今から私たちは あなたが大好きな
 街のゲートの前のあの丘の上から
 あなたを見送ります。」と言ってくれた

「ありがとう」と言って車に戻りながら
私はすぐに まだ事務所に残っている課長に
「街のゲートの前の丘を見てください。
 今から5頭の鹿が上がりますよ。」と電話した

彼らは まるでトナカイの絵のように
いっせいに丘にかけ上がっていった

「ああ 鹿が・・。見える見える・・5頭いるね~!」
という課長の興奮した声を聞きながら
私は胸がいっぱいなまま 子どもの国をあとにした

(あとから課長から「今から鹿が上がるなんて、どうしてわかったの?」
 と聞かれたのには「鹿がそう言ったんです」というシカなかったけれど・・)

白鳥も鹿も 言葉を話したわけではありません
でも 話しているように伝わってきた

私たちは 最初から
そういう世界にいます

人間だけが 区別しているのかも

言葉がないとき 
人は ほかの動物や植物とテレパシーでつながっていて
共存共栄していました

今も 子どもや動物や植物は
そんなふうに生きているのじゃないかな

第二次性徴のころからかな?
私たちが「自分だけが正しい」と信じて戦う大人になるのは

物言わぬものたちから
無条件の愛を学ぶ・・

思い出す時がきましたね






昨年のファイルの中に
こんな詩がありました




「たいせつなものは 見えないね」

たいせつなものは
気持ち 親切 やさしさ
尊敬 いたわり 

聴こえない音・・・

マイクに入らない音域の音
耳に聴こえない 響き

心にしみじみと伝わるのは
聴こえない音なのね


たいせつなことは 
思い出せない

なぜわたしは わたしなのか
なぜ ここにいるのか

どこから なんのために
ここに 来たのか


思い出したいことがある

わたしが生まれるときの
お父さんの 祈り

わたしが生まれたときの
お母さんの わらい泣き


わたしの うぶ声

おっぱいの におい

抱っこしてもらったはずの 
たくさんの手


かすかにおぼえている 子守唄
♪つりがねそう~の・・♪ の その先

お母さんは「知らない」と言ったその歌
誰がうたってくれたのか


たいせつなものは
見えないね





2014年に感謝をこめて~瑞穂舞いとコンサート~
感動のうちに終わりました~。

前日の寒さや 風雨が通り過ぎて
あたたかな 快晴の空に
富士山がくっきりと美しい日でした

参加してくださった皆様
福島からも 栃木からも来てくださって
感激しました 
ありがとうございました

瑞穂舞を舞ってくださった安部深雪さん 
民俗楽器奏者の高橋誠さん
すばらしかったです
ありがとうございました

駐車場係りや受付係りを
率先してやってくださった皆様も完璧でした

応援してくださった皆様にも
心から感謝申し上げます

朔旦冬至の前日
太陰暦の大晦日に
まるで鶴と亀が統べる(すべる)ように
新月と冬至が重なって

まるでまるで 大昔の宮中さながら
舞いと笛太鼓の祝宴を設けられましたこと

皆様の笑顔と 感動の涙と
終わってもほとんど全員残られて
もう一度語り合いながらお茶を飲み直していらっしゃる光景に
わたしのしあわせ度は ピークでした

いつものことながら
あのすばらしい瑞穂舞(天女の舞)も
あの鼓(つづき)のようなめでたいジャンベの音色も
わたし自身が見入って聴き入ってしまって
写真をとることを忘れていたので
皆様にお見せできないのが残念です

瑞穂舞(天女の舞)の最後の「いつくしみ」を
皆様全員で手の動きのまねをして
いっしょに踊った気分でしたね

でも あの手の美しさは 1度教わったくらいでは
まねられるものではありませんね~

いっせいに30人分のお料理を運ぶ
にわかウエイトレスの仕事があんまり楽しすぎて 
お料理の写真も忘れました~
それほど充実していたと 
ご想像ください

お天気も 気温も
駐車場の車の数も
お料理ができるのも
食べ終わるのも
タイムスケジュールも なにもかも
すべてが パーフェクトでした

恵まれた しあわせな一日でした
ほんとうに ありがとうございました


唯一の残念は ハープ奏者のロヒさんが
前日からインフルエンザでダウンしてしまって
ハープを聴かせていただけなかったことですが
ロヒさん 大事になさってください
早く快復されますように お祈りいたします





ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


.