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親子の学びがクリアーできたら
あらゆる人間関係がだいじょうぶになる
そのときが きていますね
これは2013.12.12に書いたものです
もう一度読んでいただきたくて再掲載します
「親子のテーマ」
2013/12/12 (Thu)
ひなどりは
誰が近づいても 口をあけるよ
その口に いつも あたりまえに
餌を与え続けるのは 親鳥だけだ・・・
いのちの糧(かて)になるものを口に入れてもらい
出したものを とってもらい
あぶないものをとりはらってもらい
すわり 立ち 歩き・・・
そしてようやく
あなたがたの記憶は始まった
ほとんどの人が そうだね
本当にお世話を受けたときのことは
おぼえていない・・・
記憶は そのあとのことだ
ようやく言葉をおぼえた頃のあなたの感情や思いが
今のあなたの記憶の始まり
それが 今のあなたのさびしさや
苦しい毛玉の芯になっている
その頃のあなたには まだ
学びの途中の親たちが
試行錯誤で子育てをしていることは
理解できなかったね
親たちもまた
つまづきながら 自分をせめながら
あるいは孤独な子育てによって
大きな学びを得ている最中だということも
わからなかっただろう
そう
今のあなたと同じように
子どもにとって 親はいつも
欲しいものを すべて すぐに
「与えてくれるひと」でなければならなかった
あなたも そう願い
あなたの子どもも そう信じているだろう
あなたの親も
自分の子ども時代の願いを その親によって裏切られ
また あなたの願いを叶えてくれなかった親のようにも思われている
あなたもまた
子どもとしての期待を裏切られて
子どもの期待に応えられないことを
また 苦しんでいる
けれど
ひとが本当に何にもできず
すべてを人の手にゆだね
いのちを託しているときの記憶は
ほとんど ない
思い出せない時にこそ
あなたがたは 無償の愛に
手をさしのべられてきた
あなたのおぼえのないときに
あなたは 母に抱かれ 父に祈られてきた
その胸のあたたかさや 母の涙や
父の心配や 笑顔を
あなたは おぼえてはいない
そうでなかったら
あなたは 今ここにいないし
このように大きな学びのチャンスに
恵まれることもなかっただろう
そして あなたもまた
あなたの子どもに
無償の愛をそそいだ時があったからこそ
子どもが ここまで育ったのだよ
今の悩みは
祝福でありさえする
あなたも せいいっぱい
よくやってきた
あなたの親も
その時は いつもそれでせいいっぱいだった
あなたが そうだったように
あなたがいま 自分を責めているように
あなたの親もまた 自分を責めて
あなたに詫びながら どうすることもできなくて
学びの道を ここまで歩いて来たのだよ
あなたといっしょに
あなたの中にある過去は
もう終わったことだ
あるのは
子ども時代のあなたの記憶だ
未熟な先輩たちの 足どりだ
あなたの学びと成長の足どりもまた
子どもたちの「過去」として 記憶されている
過去は 未熟なあなたの
道半ばの人たちへの 記憶にすぎない
未熟さを 責めてはいけないよ
それは 生きている自分を責めていることになる
自分を責めれば
それにふさわしい人生を創ることになる
学び・・・思い出しの道は
未熟だからこそ 完璧なのだ
不完全だからこそ
プロセスとして いつも完全なのだよ
だから 生まれたのだし
だからあなたは あなたの親を選んだのだよ
親の学びと共に
あなたの学びもあり
ともに成長するために
合意しあって 家族となった
いつも 今はそれでいい
お互いに それでせいいっぱい!
そろそろ 記憶をゆるし 手放し
感謝と平和に戻る時が来た
記憶をゆるすとは
その時のそう感じた自分の年齢に戻り
その時の自分の寂しさや 恐怖や 悲しさに共感し
もうそれは終わっているよ と
安心するまで抱きしめてやることだ
そして その年齢から
今の年齢まで もういちど戻ってくるといい
その記憶は
その年齢の 自分から見た記憶にすぎないとわかったら
それによって作られた信念や価値観によって
ずっと制限してきた自分の人生と
心のおもりに苦しんできた今までの自分を抱きしめて
よく がんばって生きてきたと
今の自分を 褒めてやるといい
あなたが ここまで成長するのに
もっともよく働いてくれたのが
あなたの親と家族だ
家族のテーマが克服できたら
人生の人間関係で苦しむことはなくなるよ
「みんなが嫌がる悪役を引き受けてくれて あっぱれ!
いつまでもその悪役をさせないよ
気がつかなくて ごめんね
つらかったね
ほんとうに ありがとう」
これが
あなたが書いたシナリオの最終回だ
フィナーレの花束は もう 用意してある
あなたが生まれた時に
抱き上げてくれた腕があったように
いのちが終わるときもそうだ
もういちど
無償の愛に抱かれるのだよ
安心して
その道を 来なさい
「大変」だ!と思うことが起きているときは
「大きく変わる」とき
それから逃げたり 闘ったりするのか
チャンスにするのか・・・
生きているかぎり
すべてが「チャンス」だと信じられたら
この変化の時を
あわてずに楽しめるでしょう
http://blog.yumekosan.com/Entry/793/
「誰かを信じられない時は」
「誰か」を信じられないときは
あなたと同じように
宇宙(全体 神)から
生まれることを許された
その人の「魂」を信じてください
誰かを愛せないときは
あなたと同じように
宇宙から 祝福されて生まれてきた
そのことを認めてあげてください
自分を信じることも愛することもできないときは
みんなと同じように
自分も生まれることを許されて
祝福されて生まれてきた そのことを
そのことだけを想ってください
いつ どのようなときでも
あなたが
許せないときも
愛せないときでさえ
あなたは つねに愛され
許されています
あなたは今
変動の中で苦しんでいるけれど
魂はゆるぎなくあなたを信じ 愛して
つねに平安です
あなたがどんな状態でも 私が信じて待てるのは
あなたの本質を
愛しているからです
あなたより
もっと あなたを
愛しています
これだけがんばって こうしたノニ・・・
あなたのために してあげたノニ・・・
信じていたノニ・・・
ノニジュースは からだにいいかもしれないけれど
のにのに思考は 細胞を傷つけます
このひとのために頑張りたいと
思わせてくれる人がいたことに感謝して
がんばっていたあの時期が
いちばん自分が輝いていた!
がんばるための体力も気力も
十分与えられていたと感謝して
がんばることや
したことや それ自体を
楽しみとすればいい
また のにのに人は
ひとのためにがんばっているつもりで
そこに自分の期待もくっつけているから
裏切られた期待は
相手のせいにするクセの人は 怒りになり
自分のせいにする人は 悲しみになり
争いや戦いのエネルギーにかわるの
これからは
出来ることに感謝して
喜びでやる
誰かに認められなくても
感謝されなくても
その過程が楽しかったのだから
結果は どうでもいい
そうなると 逆に
結果がついてくる
出した気持ち
喜びや感謝が還ってくる
人生は 「出したものを確認する今」の連続
「のにのに」から離れたときから
あなたの本当の人生が始まるよ
~自分のために 生きなさい
自分の評価を誰かに任せず
自分を いちばん好きな人にしなさい
自分に嫌われないような選択をして
今していることを 楽しみなさい~
(にんじんの葉っぱ)
「しあわせ」 2012.12.06
いろいろあったけれど
ともかく きょうは
こうして 歩けて
ここまで来れた
ありがたいね
私が笑っていられるのは
悩みがないわけじゃなくて
ただ 悩んでいないだけ
困ることがないんじゃなくて
困ってないだけ
考えても どうにもならないことは
考えないことに決めた
今 目の前に起きてないことを考えて
妄想して苦しむのはやめにした
いま 生きている「わたし」を感じて
生かされている今日を
せいいっぱい 生ききる!
感謝で生ききる!
いつか そう決めた日があった・・・
悩むのをやめて 外に出れば
わたしには 与えられているものが
あふれるほどあった
太陽の あたたかさ
大地の あたたかさ
ひとの あたたかさ
動物たちの目の あたたかさ
草の芽の いっしょうけんめいさ
息ができることの ありがたさ
食べられることの ありがたさ
目が見えることの ありがたさ
ああ・・・
普通に生きていることの
何もかもが ありがたい・・・
しあわせは
何かを得ることではなくて
すでにこの手に持っているものに
気づくことなのね
その日から
わたしはずっとしあわせで
毎日が 感謝ばかりです