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静岡県富士市に家を探しているかたはいらっしゃいませんか?
静岡清水に通勤の方にも便利です。
富士市松岡に 娘が建ててくれた家があります。
1階は私が住むために私が設計しました。2階は娘が。
(下記に添付したのは1階の私の家だった部分です。20坪)
はじめから完全二世帯向けに造ってあって、玄関も別々です。
天井も高く、窓は二重サッシ、
24時間強制換気の(ウォークインクローゼットの中も)
気のいい家です。
気がいいと言えば、土地を見に行ったとき、
ここの区画だけ、つがいのモンシロチョウが
隅から隅まで舞い続けて「ここだよ♪」と教えてくれたのです。
天使が教えてくれたこの土地に、
中学卒業を待ちきれず大工さんになって何十年間、
毎日 朝になるのが待ちきれないという大工さんが、
いつのぞいても歌を歌いながら建ててくれた家です♪
引き渡しの日、家の外回りの説明をしてもらう私たちの前を
ずっと先導してくれたのは、今度はアゲハチョウのつがいでした。
花を植えれば、渦を巻いて咲くような家でした。
娘の結婚と、わたしの栃木への引っ越しで、
大好きなこの家には2年間しか住むことができませんでしたが、
それからずっとこの家は、住む人を幸せにしてきたのだろうな、と思っています。
1階は、自画自賛のオープンな間取りで、
使いやすくて今でも自慢ですが、
実は2階の娘の家はさらに開放的な
モダンで屋根裏部屋が寝室になる広さ。
できれば二世帯家族で使っていただければ幸せですが、
上だけ、下だけでもお借りください。
普通のアパートにはない解放感を、
きっと気に入っていただけると思います。
1階はすぐにでも入居できます。
2階は2月いっぱいで空くそうです。
写真など近日中にUPします♪
お引っ越しを考えているお友達などいらっしゃいましたら、
どうぞご紹介ください。
1階の部屋の間取りと写真をごらんください。
http://www.apamanshop.com/…/210/b2014110711…/20150310010792/
お風呂も広いです。(2階のお風呂からは、富士山も♪)
洗濯機や掃除用品などはお風呂場の前の引き戸の中なので、
部屋の中がスッキリです。
大きな納戸は、絵の額を収納するために必要でした。
奥の寝室のWICは、階段下を有効利用して、
大工さんが好意で作ってくれました。(強制換気付き)
決して広くはないですが、使い勝手のいい家でした。
不動産情報でした(^v^)
(追伸)
今 家主である娘より「お母さんの友だちなら、気持ち安くします♡」とメッセが入りました。
ぜひ お早目にご検討ください。
静岡清水に通勤の方にも便利です。
富士市松岡に 娘が建ててくれた家があります。
1階は私が住むために私が設計しました。2階は娘が。
(下記に添付したのは1階の私の家だった部分です。20坪)
はじめから完全二世帯向けに造ってあって、玄関も別々です。
天井も高く、窓は二重サッシ、
24時間強制換気の(ウォークインクローゼットの中も)
気のいい家です。
気がいいと言えば、土地を見に行ったとき、
ここの区画だけ、つがいのモンシロチョウが
隅から隅まで舞い続けて「ここだよ♪」と教えてくれたのです。
天使が教えてくれたこの土地に、
中学卒業を待ちきれず大工さんになって何十年間、
毎日 朝になるのが待ちきれないという大工さんが、
いつのぞいても歌を歌いながら建ててくれた家です♪
引き渡しの日、家の外回りの説明をしてもらう私たちの前を
ずっと先導してくれたのは、今度はアゲハチョウのつがいでした。
花を植えれば、渦を巻いて咲くような家でした。
娘の結婚と、わたしの栃木への引っ越しで、
大好きなこの家には2年間しか住むことができませんでしたが、
それからずっとこの家は、住む人を幸せにしてきたのだろうな、と思っています。
1階は、自画自賛のオープンな間取りで、
使いやすくて今でも自慢ですが、
実は2階の娘の家はさらに開放的な
モダンで屋根裏部屋が寝室になる広さ。
できれば二世帯家族で使っていただければ幸せですが、
上だけ、下だけでもお借りください。
普通のアパートにはない解放感を、
きっと気に入っていただけると思います。
1階はすぐにでも入居できます。
2階は2月いっぱいで空くそうです。
写真など近日中にUPします♪
お引っ越しを考えているお友達などいらっしゃいましたら、
どうぞご紹介ください。
1階の部屋の間取りと写真をごらんください。
http://www.apamanshop.com/…/210/b2014110711…/20150310010792/
お風呂も広いです。(2階のお風呂からは、富士山も♪)
洗濯機や掃除用品などはお風呂場の前の引き戸の中なので、
部屋の中がスッキリです。
大きな納戸は、絵の額を収納するために必要でした。
奥の寝室のWICは、階段下を有効利用して、
大工さんが好意で作ってくれました。(強制換気付き)
決して広くはないですが、使い勝手のいい家でした。
不動産情報でした(^v^)
(追伸)
今 家主である娘より「お母さんの友だちなら、気持ち安くします♡」とメッセが入りました。
ぜひ お早目にご検討ください。
(住職撮影)
静岡県富士宮市に興徳寺という
しだれ桜と彼岸花で有名なお寺があります
京都の清水寺などと並び
日本の花の古寺十選に選ばれています
そこから眺める富士山が
ピカいちだと私は思っています(^v^)
なにしろ 裾野から裾野まで
さえぎるものなく全景が見られるのです
そこのHPの法話に
こんな掲載がありました
「興徳寺 紙上法話」
~今できることを せいいっぱい やりなさい~
http://kotokuji.jp/howa/howa87.html
手の中にあるものを使って
行けるところまで 行きなさい
その先や帰り道の心配はいらない
行けるところまで行ったならば
そこでまた 与えられる
あなたはそうやって
ここまできた
先を怖れて 動かぬならば
手の中のものは 消えるだろう
安心して行けるところまで
行きなさい
あなたは永遠に
「与えられる今」に在るのだから おかざわ ゆめこ
「だいじょうぶのレシピ」より引用
私達は、とかく他人と比べて、「自分にもあんな才能があったらなぁー」と思ったり、「これがないから、できない」などと言い訳します。
ですが、今、私にあるものは何か? を考えてみましょう。
お金はない、学歴もない、才能もないけれど、健康な体、よき仲間、少しばかりの特技と好奇心・・・何でもいい、その持ち合わせたものでとにかく前に踏み出しましょう。
余計な心配はしないこと。
おかざわゆめこさんは、裾野市を拠点に活動しているヒーリングアーテイスト 、絵を描き、詩を書き、はたまた自作自演のCDを製作、展覧会や講演会などで、日本中を忙しく飛び回っています。
このゆめこさん、実は住職の同い年の幼馴染です。幼い頃両親が離婚、興徳寺のすぐ近くの父親の実家に預けられ小学校4年までを過ごしました。
父親が再婚し引き取られたものの虐待~自殺未遂をくりかえし、家出・・・その後結婚して3つ子の母となるも、子供を引き取り離婚・・・
そんな彼女に私がいつも勇気づけられたのは、逆境の中、まさに手の中にあるものを使って明るく生きている姿であり、彼女の口癖「だいじょうぶ」という言葉でした。
後にそれが彼女の深い「信仰心」の裏づけであったということに気づかされたのです。
日蓮聖人、『法華題目鈔』の一説
―――夫仏道に入る根本は信をもて本とす。
(略)
さればさせる解なくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば悪道をまぬかるべし―――
仏様の道に入ろうとするのに、一番大事なことは信ずるということです。
(例え難解な教えが)理解できなくてもお題目を唱えることによって、守られるのです。
仏さまを信じ、だいじょうぶ、と信じてください。
必要なときに必要なものが与えられ、必要な人に会わせていただけます。
あなたは永遠に「与えられる今」にあるのですから。
吉永小百合さんの国内外での朗読は
必ずこの詩から 始まります
《序》 峠三吉
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる にんげんをかえせ
にんげんの
にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
わたしの世代は
戦地で命がけで戦ったお父さんと
子どもを食べさせるために闘ったお母さんに育てられました
わたしは子供でしたが あの当時の
食糧難や 政治的な世相を
まだおぼえています
戦争を語り継ぐ人がだんだんいなくなり
経験は歴史として教わっていくようになるのでしょう
戦争 原爆 それから原発事故・・・
これは 人間が止めることができるもの
子どもにも 孫にも また次に生まれる自分にも
二度と味あわせたくないものを
もう選択しないと決めるのは
味わってきた私たちの責任のように思います
肉体を脱ぐ前に いま
知り合いが一人減り 二人減りするたびに
思うのです
やり残していることはないか と
たいせつな
いちばん大事なものを 失なう前に
必ずこの詩から 始まります
《序》 峠三吉
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる にんげんをかえせ
にんげんの
にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
わたしの世代は
戦地で命がけで戦ったお父さんと
子どもを食べさせるために闘ったお母さんに育てられました
わたしは子供でしたが あの当時の
食糧難や 政治的な世相を
まだおぼえています
戦争を語り継ぐ人がだんだんいなくなり
経験は歴史として教わっていくようになるのでしょう
戦争 原爆 それから原発事故・・・
これは 人間が止めることができるもの
子どもにも 孫にも また次に生まれる自分にも
二度と味あわせたくないものを
もう選択しないと決めるのは
味わってきた私たちの責任のように思います
肉体を脱ぐ前に いま
知り合いが一人減り 二人減りするたびに
思うのです
やり残していることはないか と
たいせつな
いちばん大事なものを 失なう前に