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嫉妬もいいじゃないですか(*^^*)
それだけ愛している 執着している
期待しているということです
嫉妬も愛情のひとつの側面
「愛情」は 愛されたいか愛したいかの2つです
子どもにも 愛されたいだけでなく 愛したい欲望があります
お母さんをどうしたら笑わせられるか・・
このプレゼントは喜んでくれるだろうか・・
と考えたりするのも愛したい願望です
愛したい願望と 愛されたい願望が願望通りにならなかったとき
その感情は 怒りか悲しみになります
相手のせいにするくせのある人は 怒りになり
自分のせいにする人は 悲しみになります
同じ出どころからくるこの2つの感情は
悲しみの中で 突如激しい怒りに変わったり
怒りの中で 突然悲しくなって涙が出たりしますね
自分の愛情が思い通りにならない時
その気持は「あの人は愛されていいなぁ」という妬みや嫉妬に変わったり
それが続くと「なぜ私ばかりこんなつらい思いをしなくちゃならないのか」
と憎しみに変わったり
憎しみから恨みになったりもします
つまり 私たちのあらゆる感情は
愛したいか 愛されたいかの「愛情」が変化したもの
私たちはあらゆる愛の形を体験して 味わって
自分をみつめて発見していくプロセスを歩いているんじゃないかしら
渦中にあるときはとても苦しいけれど
そういう意味では計画通りにとてもうまく進行しているね と
あなたの魂はうなづいているように思います
愛したい愛されたいという感情は
「情」つまり「こちらの思い・願い・期待」がくっついた
条件付きの愛・・「愛情」なのですね。
あなたがこうしてくれたら私は幸せなのに・・・。
この子がこうだったら私は安心なのに・・・。
私のことだけを見ていてくれたら私はうれしいのに・・・。
「あなたのために言っているのよ!」
「あなたを愛しているからに決まってるじゃない!」
と言いながら でも・・あれあれ
このイライラはなんでしょう?
おやおや・・・「愛情」は 書いてみると
相手の幸せを望んでいるというよりも
「私を心配させないで!」
「私に悲しい思いをさせないで!」
「わたしの思い通りにして!」という
自分が幸せでいたい「自己愛」?
(自己愛がいけないわけでは決してありません)
これは期待が入っているので怒りや悲しみになって
ケンカのエネルギーにもなりますね
愛情いっぱいの家族は
よくケンカもするわけです
それはそれでいいのです
それでは 「愛」とは
期待しない愛とは
自己愛ではない愛とは
「相手が いつ どこで だれと 何をしていても
その人が幸せであることが私の喜びだ・・・」
「無条件の愛」などといいますが
「こうしてくれたらいいけど こうじゃあいやだ」という条件が
「愛」には初めからないということです
「神様 宇宙 全体であるもの」が もし「愛情」であるならば
私たちはその条件や期待に応えられないと
裁かれ 罰せられることでしょう
私は「神様 宇宙 全体であるもの」は
「愛」であると信じているので
私たちの自由意志と自由選択によって味わっているあらゆる感情を
「よく味わっているね 生きているね よく学んでいるね」と
目をほそめて観ている意識を感じます
そして いずれきっと 私たちが
怒りや悲しみ 憎しみさえも
いだき参らせる「愛」を思い出すことを
信じて待たれているのを感じています
私たちは そこから来て
またそこに還るのですから
だから私は思うのです
存分に 味わいなさいね
そのために 来たのですから