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時計ではなく 腹で生きている感の息子
朝早く 昨夜作っておいた大盛りの中華丼をたいらげて
その後また 豚肉の生姜焼きでご飯を食べて
さっきまた 自分で冷凍のエビフライをあたためて1杯食べて
今また冷蔵庫をのぞきに来ました
現在 お昼の12時半です
(ちなみに食欲はおもに午前中に集中して
夕方からはほとんど食べなくなるサイクルのようです)
よっしゃ!
なつかしいおにぎりを作ろう♪
塩だけの炒りタマゴを入れたおにぎり
子どもたちが中学生時代 娘もソフト部だったから
土曜日は昼の分と 夕方の分をひとり2食分を持って行ってた
ひとり1回分が6個だったから (6個入りを2本ずつ)
ひとりあたり12個ずつの3人分 36個のおにぎり
(お昼までに12個全部食べてしまったという話もきいたことがあるなぁ)
せめてすこしでも栄養を と考えて
おにぎりに卵を入れることを思いついた
今では さまざまな具をいれたおにぎりが店頭に並んでいるけれど
その頃は おにぎりと言えば梅干しかおかか
ぜいたくにシャケなんてのは・・作った覚えがないくらい
だから けっこう珍しがられたようだった
それに あの頃のおにぎりは もっとうんと大きくて
「うちのおにぎりは大きかった」と
あとから娘に言われたことがあったなぁ
土曜の朝は 1升釜のご飯がきれいになくなって
私の朝ご飯を控えるくらいだったな
食べ盛りの頃は 1ヶ月に40kgのお米を食べてた(^^)
いちばん貧しい時期で 農家から安くわけてもらっていた古米を
ひとりで 庭でふるいにかけてヌカを落としていると
ヌカといっしょに欠けたお米がみんなザルの目から落ちてしまって
これでは子どもたちのお腹を満たせない と
お米屋さんで買おう!って決めたのだった・・
そういえば お雑煮のお餅も ひとり最低6個だったから
大きなお鍋にも入りきれないくらいだったなぁ
などと思い出しながら ひさしぶりに握ってみました
これだけ握っただけで 手が真っ赤です
あの頃の私の手は どんなだったんだろうと
奮闘していた頃の自分もほほえましい
海苔は ちょっと節約ですけど( *´艸`)
ちゃんと米粒の形をしたご飯です(*^^)v
それだけでしあわせです♪
今は おしゃれなおむすびになって
軽くふわっとむすんでいますが
きょうはひさしぶりに力を入れて握ってみました
子どもと一緒のあれやこれや・・
大変だったときのほうが
豊かな思い出になっていますよ
がんばってるママさんたち♥
ファイト~!!
わたしの世代は
戦地で命がけで戦ったお父さんと
子どもを食べさせるために闘ったお母さんに育てられました
わたしは子供でしたが あの当時の
食糧難や 政治的な世相を
まだおぼえています
戦争を語り継ぐ人がだんだんいなくなり
経験は歴史として教わっていくようになるのでしょう
戦争 原爆 それから原発事故・・・
これは 人間が止めることができるもの
子どもにも 孫にも また次に生まれる自分にも
二度と味あわせたくないものを
もう選択しないと決めるのは
味わってきた私たちの責任のように思います
そして それは 今!
今だという気がします
(2014.01.29)
イギリスのオックスフォード大学で
吉永小百合さん原爆詩朗読 ピアノ坂本龍一さん
title="">https://www.youtube.com/watch?sns=fb&v=lEalWrdso8w&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DlEalWrdso8w%26sns%3Dfb&app=desktop