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今回の原画展に 初めて糸掛けの作品を展示させていただこうと思っています。



なにしろ私は、材料を見たら基本を習うより先に手が動いてしまうので、パステルの使い方も紙のことも何も知らずに描いている絵と同じで、糸の掛け方も糸のことも基本を習わずに勝手に自由に、手に任せて・・なので本来は「糸掛け曼荼羅」「コスモサークル」と、ちゃんとした名前があるのですが、私のものは基本から外れた自己流なのでとでも呼んでいただきましょうか。
写真は、その一部です。



今回私のために材料を提供してくれて、たくさんの釘打ちを喜んでやって下さった親愛なるKさんのご厚意に、心から感謝いたします。






~2019おかざわゆめこ秋の原画展~
http://blog.yumekosan.com/Entry/1733/








 「 知 る 」(2012・06・15)


わからないことがあるので

わかっていることが見える



知れば知るほど

さらに 「知らない」ということを知る



「私はほとんどを知らない」 ということを知って

ようやく 安心して

人間として 生きる・・・



「知る」ために 

「知らない」ということを知り


「知らない」ということを知って

実ははじめから 

すべてはそこにあったことを知る



その時 ようやく 

はじめから知っていたのだと知り


「知る」ということを  知る





 






もう10年になるのか もっとなのか 忘れてしまいましたが
久高島からの帰り お招きいただいたある方のお母様のお誕生パーティーで
初めて河野さんとお会いしました

翌朝 発たれる前に私の絵の額を 黙って全部 
展示するお部屋に運んでくださるという気配りの方でした
 
彼のこうした言動は だれにでもそうで
一貫したやさしさと正直さ 真面目で親切丁寧(引越便じゃありません)
真摯な物言いと 淡々とした公平さ

彼は自分と同じようにひとを赦し
過去にとらわれず いま目の前のそのひとを
最大限たいせつにするひと・・

「キリスト意識の方だなぁ
だからこの体験を引き受けられたのだなぁ・・」と思ったのを
久しぶりに思い出しています

一昨日 何年ぶりかの電話に
「どんなおじいさんになりました?」といういたずらな質問に
「明日の新聞に載りますから どんなおじいさんになったか見てください」 と

残念ながら 昨日はその新聞を手に入れられず
デジタル版では途中までしか見られないのですが
いつか図書館に行って新聞のアーカイブを閲覧してこようと思っています

途中まででも ぜひ読んでいただきたい彼の人となりです
このようなひとにめぐりあうことは 
めったにないでしょう

「私の自慢のお友達のひとり」と言わせていただくことも
きっと赦してくださると信じています

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(朝日新聞DEGITAL)
「人は間違う、だから許す 河野義行さん、四半世紀の境地」

 死者8人・重軽症者約600人を出したオウム真理教の松本サリン事件から今年で25年。事件の被害者で、妻をサリンの後遺症で亡くした河野義行さん(69)は、オウムへの恨みや憎しみはないと公言してきた。教団元幹部への死刑が執行された際には「残念」「悲しい」とも語っていた。なぜ許すのか、許せるのか、を聞いた。・・・・・

(つづきは)
https://www.asahi.com/articles/ASM702SKXM70ULZU001.html










嫉妬もいいじゃないですか(*^^*)
それだけ愛している 執着している 
期待しているということです
嫉妬も愛情のひとつの側面

「愛情」は 愛されたいか愛したいかの2つです
子どもにも 愛されたいだけでなく 愛したい欲望があります

お母さんをどうしたら笑わせられるか・・
このプレゼントは喜んでくれるだろうか・・
と考えたりするのも愛したい願望です

愛したい願望と 愛されたい願望が願望通りにならなかったとき
その感情は 怒りか悲しみになります

相手のせいにするくせのある人は 怒りになり
自分のせいにする人は 悲しみになります

同じ出どころからくるこの2つの感情は
悲しみの中で 突如激しい怒りに変わったり
怒りの中で 突然悲しくなって涙が出たりしますね

自分の愛情が思い通りにならない時
その気持は「あの人は愛されていいなぁ」という妬みや嫉妬に変わったり
それが続くと「なぜ私ばかりこんなつらい思いをしなくちゃならないのか」
と憎しみに変わったり
憎しみから恨みになったりもします

つまり 私たちのあらゆる感情は
愛したいか 愛されたいかの「愛情」が変化したもの

私たちはあらゆる愛の形を体験して 味わって
自分をみつめて発見していくプロセスを歩いているんじゃないかしら

渦中にあるときはとても苦しいけれど 
そういう意味では計画通りにとてもうまく進行しているね と
あなたの魂はうなづいているように思います

愛したい愛されたいという感情は
「情」つまり「こちらの思い・願い・期待」がくっついた
条件付きの愛・・「愛情」なのですね。

あなたがこうしてくれたら私は幸せなのに・・・。
この子がこうだったら私は安心なのに・・・。
私のことだけを見ていてくれたら私はうれしいのに・・・。

「あなたのために言っているのよ!」
「あなたを愛しているからに決まってるじゃない!」
と言いながら でも・・あれあれ 
このイライラはなんでしょう?

おやおや・・・「愛情」は 書いてみると
相手の幸せを望んでいるというよりも
「私を心配させないで!」
「私に悲しい思いをさせないで!」
「わたしの思い通りにして!」という
自分が幸せでいたい「自己愛」?
(自己愛がいけないわけでは決してありません)

これは期待が入っているので怒りや悲しみになって
ケンカのエネルギーにもなりますね
愛情いっぱいの家族は
よくケンカもするわけです
それはそれでいいのです

それでは 「愛」とは
期待しない愛とは
自己愛ではない愛とは

「相手が いつ どこで だれと 何をしていても
 その人が幸せであることが私の喜びだ・・・」

「無条件の愛」などといいますが
「こうしてくれたらいいけど こうじゃあいやだ」という条件が
「愛」には初めからないということです

「神様 宇宙 全体であるもの」が もし「愛情」であるならば
私たちはその条件や期待に応えられないと
裁かれ 罰せられることでしょう

私は「神様 宇宙 全体であるもの」は 
「愛」であると信じているので
私たちの自由意志と自由選択によって味わっているあらゆる感情を
「よく味わっているね 生きているね よく学んでいるね」と
目をほそめて観ている意識を感じます

そして いずれきっと 私たちが
怒りや悲しみ 憎しみさえも 
いだき参らせる「愛」を思い出すことを
信じて待たれているのを感じています

私たちは そこから来て
またそこに還るのですから

だから私は思うのです

存分に 味わいなさいね

そのために 来たのですから










価値の無い人なんて いません

ひとはみな 
どこかに宝物を秘めて生まれてきます
まだ 発見できていなくても
いまからが楽しみです♪

もう発見しているひとは
宝物はひとつではないかもしれません♪

子どもも おとなも
もちろん あなたも
無限の可能性を秘めています

この子に どんな価値があるのか
そのための道具はどこにあるのだろう?と
子どもを 親の価値観や期待で見ないで
ありのままの子どもをしっかり観察すると
子どもはヒントをくれます

時間を忘れるほど 熱中している時

目がキラキラしている時

体中で感動して叫んでいる時

宝物のはしをチラッと見ることが出来ます

同じように 大人同士でも 
この人のどこに宝物があるのかを
同じ方法で見つけることが出来ます

あなたの宝物をみつけるのにも
それは有効です

自分や誰かの宝探し

宝が宝石ならば

その原石同士で
お互いにお互いを大切にして
毎日ていねいに磨き上げていく

あなたも
家族も
社会も
価値ある人たちの集まり

(2015.07.13)



(絵は「光の旅」)








ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


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