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8月の
よく晴れた日には

青空を見上げて
わたしは 祈っています


殺戮の歴史は
わたしが選びました

そして もう
決して それは選びません


地球と大自然への 畏敬と

いのちと身体への 感謝と愛をこめて


ただ ただ 祈りを捧げます


 ~すべてのいのちの目的が

   完璧に全うされました


   ありがとうございます~









生まれる・・・

わたしが生まれたときも
わたしが産んだときも
おなかのなかでは
命がけの こんなドラマがあった!

生まれるって
生きてるって
命って・・・

あまりにも 奇跡的で

あまりにも すばらしい!



(FBの友達の日記から)


「ある助産師さんのお話」

----------------------------------------

赤ちゃんを産むとき、陣痛というものがある。
陣痛は、初産で約24時間
2人目以降で約12時間続くものらしい。

妊婦さんの中には
この陣痛がとても苦しいので、
「産む側は大変、赤ちゃんは生まれてくる側でいいなぁ」
と言う方もいるらしい。

しかし、助産師さんは
これは大きな勘違いだと言う。

赤ちゃんの方が
妊婦さんの何倍も苦しいのだと。

実は、子宮は筋肉であり
これが収縮したり緩んだりするのが、
陣痛の正体らしい。

陣痛が始まり、子宮が収縮すると
赤ちゃんは首のところを思い切り締め付けられ
へその尾からの酸素が途絶え、
息ができなくなるそうだ。

子宮の収縮は約1分間。
その間思い切り首を締められ、息ができない。

1分たてばまた子宮はゆるむが
また陣痛が来れば1分、息ができなくなる。

しかも陣痛の間隔はだんだん狭くなる。

この陣痛に耐えられなければ
赤ちゃんは死ぬ。まさに命懸けだ。

だからこそ、赤ちゃんは慎重なのだという。

実は、陣痛がおこるためには
陣痛をおこすホルモンが必要らしいのだが
このホルモンを出しているのは
お母さんではなく、なんと赤ちゃん自身。

赤ちゃんはとても賢く、自分自身で自分が
今 陣痛に耐えられる体かを判断する。

そして、一番いいタイミングで
自分の生まれてくる日を選ぶ。

(そう考えると、自分の誕生日も、
 自分が選んだ日なんだと思えた)

また、急に激しい陣痛を起こせば命が危いので
最初は陣痛を起こすホルモンを少ししか出さず
様子を見てホルモンの量を調整するらしい。

赤ちゃんの中には、予定日を過ぎても
なかなか生まれてこない赤ちゃんもいる。

途中で陣痛を止める赤ちゃんもいる。

そういう赤ちゃんを
「うちの子はノンビリしてる」
なんていうお母さんもいるけど、
そのとき赤ちゃんは必死なんだという。

生まれて来ないのは、赤ちゃんが
「今の体では陣痛に耐えられず死んでしまう」
と判断しているからだそうだ。

赤ちゃんはみんな、自分で判断して
自分の意志で生まれてくる。

「生まれたくて生まれたんじゃない」
なんて人はいない。

すべての赤ちゃんは、
その日を自ら選んで生まれてくる。

生きるか死ぬかの狭間の中、
あの小さな体で必死に生きようと頑張っている。

子供を授かることもそうですが、
出産は母親にとっても赤ちゃんにとっても
すべてが奇跡の連続なんだと。

あなたの誕生日も、
あなたが命を懸けて、選んだ日なのです。

そう考えると、自分の誕生日が
本当に特別な日なのだと
改めて実感できるのではないでしょうか。





8月は 歴史を見直し
自分の選択を再確認する月ですね

この写真にはいつも胸をえぐられます
(写真はここに掲載できません ごめんなさい)

選ぶ権利のないこどもたちに 二度とこんな経験をさせないように
なにを選択するのか 私たちには責任があります



敬愛するあすぱらさんの日記から

「歴 史」


「なぜ、歴史を勉強するの、べつにいいじゃん」と中学生は私によく言う。

少し間をおいて、じっと顔を見据えて、私は答える

「人類が歩んできた道を知り、同じあやまちの繰り返しをしないため・・・・・・ただそれだけのためかもしれないね」

たいていの中学生は、この言葉で、口をつぐんでしまう・・・皆、よくわかっているはず・・・

今日は、長崎に原爆投下の日

合掌





目撃者の眼  
報道写真家 ジョー・オダネル

1999年76歳になる
ジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の
報道写真家として
第2次世界大戦後の日本を撮った。


佐世保から長崎に入った私は、
小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男達が
目に入りました。

男達は60センチ程の深さにえぐった
穴のそばで作業をしていました。

荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の
中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が
歩いてくるのが目に留まりました。

おんぶひもをたすきにかけて、
幼子を背中に背負っています。

弟や妹をおんぶしたまま、
広っぱで遊んでいる子供の姿は
当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子は
はっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきた
という強い意志が感じられました。
しかも裸足です。

少年は焼き場のふちまで来ると、
硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、
首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、
5分か10分も立っていたでしょうか。

白いマスクの男達がおもむろに近づき、
ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時私は、
背中の幼子が既に死んでいる事に
初めて気付いたのです。

男達は幼子の手と足を持
つとゆっくりと葬るように、
焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける
ジューという音がしました。

それからまばゆい程の炎が
さっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は、
直立不動の少年のまだあどけない頬を
赤く照らしました。

その時です、炎を食い入るように見つめる
少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。

少年があまりきつく噛み締めている為、
唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、
少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。

(インタビュー・上田勢子)

[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]





「JALのスタッフだけが知っている心温まるストーリー」の中から…

「子どもたちとの約束 」


羽田発、沖縄行きの機内でポーンと軽快な音がして、
シートベルト着用のサインが消えた。

窓側に座った妻・友里は、
待ちかねたようにバッグの中から写真を二枚、取り出した。

光穂(みつほ)と真(しん)の写真だ。

「光穂、真ちゃん。
 ほら、もう雲の上まで来たよ。
 飛行機に乗ってるんだよ。
 見える?」

目に涙をいっぱいためた妻が、小さな声で二人に語りかける。
妻はあの日以来、全く笑わなくなってしまった。


1年前の3月11日。
津波は、私と妻の大事なものばかり奪っていった。
家はもちろん、しっかり者の母、穏やかな祖母、
そして二人のかわいい子どもたち。

私たち夫婦はあの日から抜け殻のようになってしまった。

たくさんのものがぽっかり抜け落ちた状態に耐え切れず、
「みんなのところに行こう」と言い出したのはどちらだったか、覚えていない。

みんなのところへ行く前に、せめて子どもたちとの約束だけは果たそうと、
私たちは沖縄行きを決めた・・・。


私たちは、海沿いの町から車で30分ほど走った商店街の一角でパン屋をしていた。
夫婦二人でもやっていけるほどの小さな店で、
焼きたてのメロンパンと、妻が改良に改良を重ねたラスクが人気だった。

私と妻は毎朝、光穂や真が寝ている間に家を出ていた。
母と祖母がいるから、安心して子どもたちを任せられたのだ。

それに、朝は早いけれど、
仕込みさえ終われば遅くない時間に帰ることができるから、
子どもたちと触れ合う時間もちゃん取ることができる。

ある日、売れ残ったパンを手に玄関のドアを開けると、
バタバタと子どもたちが走ってきた。

5歳の娘と3歳の息子がいつものように、
「パパ、ママ、あのね・・・。」と口々に話し始める。

私は光穂と一緒にリビングへ行った。

「ね・・・、パパ。スカイタイムって知ってる?」

「スカイタイム?」私は首を捻った。

「タイムっていうとハーブかな?」

「ちがーう」

「ええ?なんだろうースカイだから・・・空に関係してる?」

「ちょっとせいかーい」

「あのね、飲み物なんだよ。美味しいジュース!」

「へえ、新しいジュースが出たのか。幼稚園で飲んだの?」

ううん、と光穂は首を振った。

「スーパーとかには売ってないの。
 飛行機に乗ったら飲めるんだって、リオちゃんが」

リオちゃんというのは、光穂の一番仲のいい友だちだ。

「へえ。じゃあ、リオちゃん、飛行機に乗ったんだ?」

「うん、沖縄に行ったんだって。
 そのときに、飛行機の中で飲んだスカイタイムっていうジュースが、
 とっても美味しかったって言ってた。
 ね、パパ。光穂も飲んでみたい。飛行機、乗ろうよ」

「ジュースを飲むために飛行機ねぇ」

私が苦笑したとき、妻が真を連れて戻って来た。

「あら、何の話?」


「よし、じゃあ、今年の夏休みは沖縄に行くか!」と大声で叫んだ。

毎年、お盆には店を休んで家族で旅行をしている。

「本当?やったぁ」と光穂が飛び上がって喜んだ。

そして、キョトンとしている弟に、
「真、飛行機乗れるんだよ!スカイタイム、飲めるよ!」と言ってぎゅっと抱きしめた。

「え、飛行機?乗れるの?やったぁ!ぼくはね、コーラ、コーラがいいの!」

息子は特別な日にしか飲ませてもらえないコーラが大好きだ。



「お客さま、お飲み物はいかがいたしましょうか。」

そっと声をかけられ、私は妻の頭ごしに見ていた雲海から機内へ目を戻した。

窓に顔を貼り付けるようにしていた妻がポツリと「スカイタイム」と呟いた。

「スカイタイムと・・・コーラを」

きっと真ならそう頼んだだろうから。

益田という名札をつけたCAさんが、
妻のテーブルにスカイタイムを、
私のテーブルにコーラの入った紙コップを置いた。

そして、スカイタイムの入った紙コップを
更に二つテーブルに置いた。

不思議に思い、顔を上げると、彼女は

「お子さまの分もと思いまして・・・よろしければ、どうぞ」と微笑んだ。

妻が手にしている二枚の写真が見えていたらしい。

初めて飲むスカイタイムは爽やかな、柑橘系の味だった。

「スカイタイム、美味しかったです」

「ありがとうございます」

感じのいい笑顔に、私はつい、
「娘が、幼稚園の友だちからスカイタイムというジュースがすごく美味しいって聞いてきましてね。
 飲みたがっていたものですから、じゃあ、夏休みに飲みに行こうねって約束してたんたんです」と言った。

過去形で話している自分に気付いて、私は口をつぐんだ。
そうだ、子どもたちの話はもう、過去形でしか話せないのだ。
永遠に。

「二人とも、去年の震災で」

ぽつんと呟くと、「それはざそかし・・・」と彼女は言葉を飲み込んだ。

そして、通路にそっとしゃがむと、私と視線を合わせた。

「お子さんのお名前、なんとおっしゃるんですか?」

「幼稚園っておっしゃっていましたけれど、光穂ちゃんが…?」

「ええ、そうです、5歳の年中さんで」

「じゃあ、真ちゃんは」

「3歳でした」

気がつけば、私は益田さんに子どもたちの話をたくさんしていた。
思い出すと辛くて、眠れなくなるほど苦しくなる子どもたちのことを、
こうして楽しそうに話す自分が不思議でたまらなかった。

益田さんに釣られたわけではないけれど、
現在形で子どもたちのことを話すと、まだ二人が生きているようにも思えてくる。

そう言うと、益田さんは優しく微笑んだ。

「だって、光穂ちゃんも真ちゃんも、
 お父さんとお母さんの中で生きておられるから」

私はハッと彼女の顔を見つめた。
いまのいままで、そんなふうに考えたことがなかった。
そんなふうに考えられる余裕がなかった。

益田さんは、手にしていた小さな紙袋を私に手渡した。

「これ、光穂ちゃんと真ちゃんに。どうぞ」

中を覗くと、クリアファイルやシールやボールペン、
そして、かわいらしくラッピングされたキャンディの袋が二人分、入っていた。

子供用のノベルティらしい。

「光穂ちゃんと真ちゃんのご搭乗記念です」

と益田さんが微笑む。

「光穂。真。飛行機に乗れて、本当によかったね」

妻は二人にそうささやくと、写真をそっと紙袋の中へ入れた。
まるで光穂と真がグッズを嬉しそうに抱きしめているようだった。


一番最後に飛行機を降りた私は、
見送りをしてくれている益田さんに両手を差し出した。

優しく握り返してくれた彼女に言う。

「ありがとうございました。子どもたちとの約束を果たすことができました」

「よかったですね」と頷いた益田さんは、労わるような目で私を見つめた。

「次回のご搭乗をお待ちしております」

この旅行が済んだら二人の下へ行こうとしていた私は
一瞬、躊躇したけれど、「ええ、是非」と頷いた。

この1年間、生きる気力を失い、自分の殻に閉じこもりがちだった妻が、
涙をこぼしながら、それでも笑顔で益田さんとしっかり目を合わせていた。



沖縄は快晴だった。
ホテルにチェックインした私は、
「これで光穂と真との約束、果たせたね」と妻に笑いかけた。

「それで・・・どうする?」

この旅行が終わったら、子どもたちとの約束を果たしたら、
後を追うつもりだった。

久しぶりの旅行で疲労の見える妻は、
それでも家を発ったときよりもはるかに生気に満ちた顔で、首をゆっくり横に振った。

「やめておきましょう。
 だって、私たちがいなくなったら、誰があの子たちの話をするの?」

妻は自分の胸に手を当てた。

「ここに生きているあの子たちを、消すわけにはいかないもの」






“スカイタイム”より抜粋引用
『大空では毎日、奇蹟が起きている』オープンブックス


2万人以上の死者と行方不明者を出した東北大震災…
いまだに、海岸沿いには大きな傷あとが残る。

言葉に出せぬほど、悲しいできごとが多くあった。
だが、それらを乗り越え、歯を食いしばって、凛として生きている人たちがいる。

思いやり、温かさ、そして、生きる勇気…
心に深く刻み付けたい。



(ゆめこ注:携帯読者のために行間を詰めました。)

仕事の中でも 家庭でも 今いるところで
ひとに寄り添い 共感し 聞くことはできるが
そうする人は少ない

けれど こうして実践する人がいる

感動するだけにとどまらず 
実践する人でありたい

               ゆめこ






子どもが来てくれて 
わたしたちは親になったの

だから 
子どもの年齢と 親年齢はいっしょ
いくつになっても ずっと 同い年

だから 
子どもの誕生日が 親としての誕生日

子どもが1歳になったら 
ようやく親も1歳

子どもが歩き出したら 
ようやく親も歩き出したところ

親は先輩だけれど
子どもよりエライわけじゃない

赤ちゃんは 小さいけれど
魂が劣っているわけじゃない

なにひとつ出来ないことで
あなたの愛を 引き出してる

一番新しい情報をたずさえて
もっとシンプルに もっと楽に
もっと自分を愛して 
もっともっと幸せに生きられるように
それを伝えたくて あなたを親に決めた

あなたは 子どもにとって
一番早く幸せにしたい 大好きな人

完成されているからではなくて
ともに学ぶために選ばれた

選ばれた親として 
自信と 感謝と 愛をもって
子どもと一緒に 成長していけばいい

あなたの寂しさや 自信のなさや
自分をいじめるクセなど
子どもはみんな承知のうえで
あなたに決めたのだから

知ったかぶりもいらないし
できるふりもいらないよ

いいお母さんにならなくていいし
いっぱいいっぱいなあなたを
こどもは ちゃんと赦してる

「ありがとう」の感謝を忘れず
「ごめんね」を言う勇気や素直さ
「いいよ」と言えるやさしさを学んで

誰でも強さと弱さを持っていることを知り
ありのままの自分やひとを受け入れて
自分を好きでいられる生き方をする

そんな幸せの見本が そばにあったら
子どもは どれだけ安心でしょうか

「育児」って 自分を育てて
「自分を幸せにする」ことなのかもしれません









ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


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