カレンダー
最新記事
(11/23)
(11/08)
(11/07)
(11/02)
(11/01)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
ブログ内検索
今年も あと数時間ですね
ロバート・オーンスタインとポール・エーリッヒ著の
「新しい世界・新しい心」という本によれば
地球の歴史を1年分のカレンダーにすると
1日は 1200万年・・・
1/1の00:00すぎに 地球は誕生
2月のどこかで 単細胞のバクテリアが登場
11/20 魚類登場
12/10 恐竜が現れて
クリスマスに消える・・・
12/31の午後 人類の最初の祖先が現れる
その日の23:45に ホモサピエンス登場!
記録された歴史の中のすべてのできごとは
一年の最後の1分間におさまってしまう・・・
今 大晦日の21:00ですから
1時間が50万年の計算で
ホモサピエンス登場の23:45までには
まだ112万5千年ほどかかります
わたしたちは 23:45からの15分間で
急速に進化成長してきました
進化が進むにつれて
違う種はもとより
同じ種同士での殺し合いを
ずっと続けてきたのです
その歴史が 今夜の最後の1分間に
すべておさまってしまうというのです
戦い続けたわたしたちの祖先が
そうするしかなかった厳しい人生を生きぬいて
いのちをつなげてくれたことへの感謝と
今なお戦っているわたしたちの同胞たちに
ハート全開で愛を送ります
今夜 23:59から
1分間黙祷をしようと思っています
もし よかったらごいっしょに
今年も 皆さまから
たくさんの愛をいただいた一年でした
学ばせていただいたことも
たくさんありました
本当に ありがとうございました
地球の歴史からみたら
人の一生はほんの一瞬です
だからこそ 今を わたしを
たいせつに生きなければと
こころから そう思います
来る年も どうぞ ご一緒させてください
よろしく お願いいたします
合掌
わたしは
ますます輝きを増す地球を信じています
そして
人類の未来も
ますます愛に戻っていくと信じています
ひなどりは
誰が近づいても 口をあけるよ
その口に いつも あたりまえに
餌を与え続けるのは 親鳥だけだ・・・
いのちの糧(かて)になるものを口に入れてもらい
出したものを とってもらい
あぶないものをとりはらってもらい
すわり 立ち 歩き・・・
そしてようやく
あなたがたの記憶は始まった
ほとんどの人が そうだね
本当にお世話を受けたときのことは
おぼえていない・・・
記憶は そのあとのことだ
ようやく言葉をおぼえた頃のあなたの感情や思いが
今のあなたの記憶の始まり
それが 今のあなたのさびしさや
苦しい毛玉の芯になっている
その頃のあなたには まだ
学びの途中の親たちが
試行錯誤で子育てをしていることは
理解できなかったね
親たちもまた
つまづきながら 自分をせめながら
あるいは孤独な子育てによって
大きな学びを得ている最中だということも
わからなかっただろう
そう
今のあなたと同じように
子どもにとって 親はいつも
欲しいものを すべて すぐに
「与えてくれるひと」でなければならなかった
あなたも そう願い
あなたの子どもも そう信じているだろう
あなたの親も
自分の子ども時代の願いを その親によって裏切られ
また あなたの願いを叶えてくれなかった親のようにも思われている
あなたもまた
子どもとしての期待を裏切られて
子どもの期待に応えられないことを
また 苦しんでいる
けれど
ひとが本当に何にもできず
すべてを人の手にゆだね
いのちを託しているときの記憶は
ほとんど ない
思い出せない時にこそ
あなたがたは 無償の愛に
手をさしのべられてきた
あなたのおぼえのないときに
あなたは 母に抱かれ 父に祈られてきた
その胸のあたたかさや 母の涙や
父の心配や 笑顔を
あなたは おぼえてはいない
そうでなかったら
あなたは 今ここにいないし
このように大きな学びのチャンスに
恵まれることもなかっただろう
そして あなたもまた
あなたの子どもに
無償の愛をそそいだ時があったからこそ
子どもが ここまで育ったのだよ
今の悩みは
祝福でありさえする
あなたも せいいっぱい
よくやってきた
あなたの親も
その時は いつもそれでせいいっぱいだった
あなたが そうだったように
あなたがいま 自分を責めているように
あなたの親もまた 自分を責めて
あなたに詫びながら どうすることもできなくて
学びの道を ここまで歩いて来たのだよ
あなたといっしょに
あなたの中にある過去は
もう終わったことだ
あるのは
子ども時代のあなたの記憶だ
未熟な先輩たちの 足どりだ
あなたの学びと成長の足どりもまた
子どもたちの「過去」として 記憶されている
過去は 未熟なあなたの
道半ばの人たちへの 記憶にすぎない
未熟さを 責めてはいけないよ
それは 生きている自分を責めていることになる
自分を責めれば
それにふさわしい人生を創ることになる
学び・・・思い出しの道は
未熟だからこそ 完璧なのだ
不完全だからこそ
プロセスとして いつも完全なのだよ
だから 生まれたのだし
だからあなたは あなたの親を選んだのだよ
親の学びと共に
あなたの学びもあり
ともに成長するために
合意しあって 家族となった
いつも 今はそれでいい
お互いに それでせいいっぱい!
そろそろ 記憶をゆるし 手放し
感謝と平和に戻る時が来た
記憶をゆるすとは
その時のそう感じた自分の年齢に戻り
その時の自分の寂しさや 恐怖や 悲しさに共感し
もうそれは終わっているよ と
安心するまで抱きしめてやることだ
そして その年齢から
今の年齢まで もういちど戻ってくるといい
その記憶は
その年齢の 自分から見た記憶にすぎないとわかったら
それによって作られた信念や価値観によって
ずっと制限してきた自分の人生と
心のおもりに苦しんできた今までの自分を抱きしめて
よく がんばって生きてきたと
今の自分を 褒めてやるといい
あなたが ここまで成長するのに
もっともよく働いてくれたのが
あなたの親と家族だ
家族のテーマが克服できたら
人生の人間関係で苦しむことはなくなるよ
「みんなが嫌がる悪役を引き受けてくれて あっぱれ!
いつまでもその悪役をさせないよ
気がつかなくて ごめんね
つらかったね
ほんとうに ありがとう」
これが
あなたが書いたシナリオの最終回だ
フィナーレの花束は もう 用意してある
あなたが生まれた時に
抱き上げてくれた腕があったように
いのちが終わるときもそうだ
もういちど
無償の愛に抱かれるのだよ
安心して
その道を 来なさい
誰が近づいても 口をあけるよ
その口に いつも あたりまえに
餌を与え続けるのは 親鳥だけだ・・・
いのちの糧(かて)になるものを口に入れてもらい
出したものを とってもらい
あぶないものをとりはらってもらい
すわり 立ち 歩き・・・
そしてようやく
あなたがたの記憶は始まった
ほとんどの人が そうだね
本当にお世話を受けたときのことは
おぼえていない・・・
記憶は そのあとのことだ
ようやく言葉をおぼえた頃のあなたの感情や思いが
今のあなたの記憶の始まり
それが 今のあなたのさびしさや
苦しい毛玉の芯になっている
その頃のあなたには まだ
学びの途中の親たちが
試行錯誤で子育てをしていることは
理解できなかったね
親たちもまた
つまづきながら 自分をせめながら
あるいは孤独な子育てによって
大きな学びを得ている最中だということも
わからなかっただろう
そう
今のあなたと同じように
子どもにとって 親はいつも
欲しいものを すべて すぐに
「与えてくれるひと」でなければならなかった
あなたも そう願い
あなたの子どもも そう信じているだろう
あなたの親も
自分の子ども時代の願いを その親によって裏切られ
また あなたの願いを叶えてくれなかった親のようにも思われている
あなたもまた
子どもとしての期待を裏切られて
子どもの期待に応えられないことを
また 苦しんでいる
けれど
ひとが本当に何にもできず
すべてを人の手にゆだね
いのちを託しているときの記憶は
ほとんど ない
思い出せない時にこそ
あなたがたは 無償の愛に
手をさしのべられてきた
あなたのおぼえのないときに
あなたは 母に抱かれ 父に祈られてきた
その胸のあたたかさや 母の涙や
父の心配や 笑顔を
あなたは おぼえてはいない
そうでなかったら
あなたは 今ここにいないし
このように大きな学びのチャンスに
恵まれることもなかっただろう
そして あなたもまた
あなたの子どもに
無償の愛をそそいだ時があったからこそ
子どもが ここまで育ったのだよ
今の悩みは
祝福でありさえする
あなたも せいいっぱい
よくやってきた
あなたの親も
その時は いつもそれでせいいっぱいだった
あなたが そうだったように
あなたがいま 自分を責めているように
あなたの親もまた 自分を責めて
あなたに詫びながら どうすることもできなくて
学びの道を ここまで歩いて来たのだよ
あなたといっしょに
あなたの中にある過去は
もう終わったことだ
あるのは
子ども時代のあなたの記憶だ
未熟な先輩たちの 足どりだ
あなたの学びと成長の足どりもまた
子どもたちの「過去」として 記憶されている
過去は 未熟なあなたの
道半ばの人たちへの 記憶にすぎない
未熟さを 責めてはいけないよ
それは 生きている自分を責めていることになる
自分を責めれば
それにふさわしい人生を創ることになる
学び・・・思い出しの道は
未熟だからこそ 完璧なのだ
不完全だからこそ
プロセスとして いつも完全なのだよ
だから 生まれたのだし
だからあなたは あなたの親を選んだのだよ
親の学びと共に
あなたの学びもあり
ともに成長するために
合意しあって 家族となった
いつも 今はそれでいい
お互いに それでせいいっぱい!
そろそろ 記憶をゆるし 手放し
感謝と平和に戻る時が来た
記憶をゆるすとは
その時のそう感じた自分の年齢に戻り
その時の自分の寂しさや 恐怖や 悲しさに共感し
もうそれは終わっているよ と
安心するまで抱きしめてやることだ
そして その年齢から
今の年齢まで もういちど戻ってくるといい
その記憶は
その年齢の 自分から見た記憶にすぎないとわかったら
それによって作られた信念や価値観によって
ずっと制限してきた自分の人生と
心のおもりに苦しんできた今までの自分を抱きしめて
よく がんばって生きてきたと
今の自分を 褒めてやるといい
あなたが ここまで成長するのに
もっともよく働いてくれたのが
あなたの親と家族だ
家族のテーマが克服できたら
人生の人間関係で苦しむことはなくなるよ
「みんなが嫌がる悪役を引き受けてくれて あっぱれ!
いつまでもその悪役をさせないよ
気がつかなくて ごめんね
つらかったね
ほんとうに ありがとう」
これが
あなたが書いたシナリオの最終回だ
フィナーレの花束は もう 用意してある
あなたが生まれた時に
抱き上げてくれた腕があったように
いのちが終わるときもそうだ
もういちど
無償の愛に抱かれるのだよ
安心して
その道を 来なさい
12/5に 焼津市で
ケルティックハープとシンセサイザーの
コンサートがありました
わたしは 朗読で応援(に なったかな?)
会場は いつもわたしがお話会をさせていただいている
木造のすてきな住宅展示場
裏庭の木々から
ひらひらと 絶えまなく落ち葉がふってくるようすは
大きな窓に 無声映画の1シーンが
エンドレスで映しだされているようでした・・・
ハープの即興演奏を聴いていたら
こんな言葉が 落ちてきました
ー枯れ葉のうたー
まどのそとの おおきな木から
つぎつぎ 葉っぱがおちてくるよ
はらはらと はらはらと
いつまでも おちてくるよ
また来る 春のために
いつかのまたの日のために
はらはらと はらはらと
いつまでも おちてくるよ
土になって 水になって
いつか ここに かえってくるよ
はらはらと はらはらと
あたらしく 生まれていくよ
ケルティックハープとシンセサイザーの
コンサートがありました
わたしは 朗読で応援(に なったかな?)
会場は いつもわたしがお話会をさせていただいている
木造のすてきな住宅展示場
裏庭の木々から
ひらひらと 絶えまなく落ち葉がふってくるようすは
大きな窓に 無声映画の1シーンが
エンドレスで映しだされているようでした・・・
ハープの即興演奏を聴いていたら
こんな言葉が 落ちてきました
ー枯れ葉のうたー
まどのそとの おおきな木から
つぎつぎ 葉っぱがおちてくるよ
はらはらと はらはらと
いつまでも おちてくるよ
また来る 春のために
いつかのまたの日のために
はらはらと はらはらと
いつまでも おちてくるよ
土になって 水になって
いつか ここに かえってくるよ
はらはらと はらはらと
あたらしく 生まれていくよ
2011年の未公開日記の中に
こんな祈りがありました
・・・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・・・
今 私のまわりにあるもの
環境とよぶもの
見えるもの 聞こえるもの
認知出来るものすべてを
私が思い 話し 創り出したものとして
完全に認め 受け入れます
今 抵抗している現実は
かつての抵抗から創り出され
今の悲しみは
かつての私の不安と心配を
私がこれを見るにふさわしいとして
私自身を評価した結果です
この現実は
私が創りました
この現実は
私の中のすべての信念が投影されています
この現実は
私の中に在るものです
これからの現実は
いま 私が私自身にプレゼントしています
望む現実を体験するためには
創造の源(みなもと)として 完全に自分を信じ
私自身に 感謝と喜びにあふれた現実を受けとる価値があると認めて
望むことだけを思い
望むことだけを話し
常に「今」を 自分らしく選択します
それを この現実の
私自身を投影したすべての登場人物と共有します
私は あなたです
あなたは わたしです
わたしたちは ひとつです
闘っている相手は
私の中にある私を制限しているものの現れであり
抵抗している出来事は
私の中にある 許していないものの現れであり
それは 私の正義の葛藤にほかならない
すべての選択は
そのとき その状況と
思い出しのプロセスという意味において
どちらも常に正しい
私は私と闘うことをやめ
記憶のすべてを受け入れます
私は私を許し 私を愛し
世界を愛します
こんな祈りがありました
・・・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・・・
今 私のまわりにあるもの
環境とよぶもの
見えるもの 聞こえるもの
認知出来るものすべてを
私が思い 話し 創り出したものとして
完全に認め 受け入れます
今 抵抗している現実は
かつての抵抗から創り出され
今の悲しみは
かつての私の不安と心配を
私がこれを見るにふさわしいとして
私自身を評価した結果です
この現実は
私が創りました
この現実は
私の中のすべての信念が投影されています
この現実は
私の中に在るものです
これからの現実は
いま 私が私自身にプレゼントしています
望む現実を体験するためには
創造の源(みなもと)として 完全に自分を信じ
私自身に 感謝と喜びにあふれた現実を受けとる価値があると認めて
望むことだけを思い
望むことだけを話し
常に「今」を 自分らしく選択します
それを この現実の
私自身を投影したすべての登場人物と共有します
私は あなたです
あなたは わたしです
わたしたちは ひとつです
闘っている相手は
私の中にある私を制限しているものの現れであり
抵抗している出来事は
私の中にある 許していないものの現れであり
それは 私の正義の葛藤にほかならない
すべての選択は
そのとき その状況と
思い出しのプロセスという意味において
どちらも常に正しい
私は私と闘うことをやめ
記憶のすべてを受け入れます
私は私を許し 私を愛し
世界を愛します