カレンダー
最新記事
(11/23)
(11/08)
(11/07)
(11/02)
(11/01)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
ブログ内検索
「無い」という与えられ方があることに気づいたとき
わたしの人生が変わった
白い紙の上に 他の色がなにもなかったら
白い色があることさえ わからない
白が白とわかるのは
そこに白ではない色があるからだ
すべてが白だったら
白い色さえ 無い
すべてが有ったら
有るということが わからない
「有る」ことに気づくためには
「無い」ものが必要だ
白が有る と気づくために
白ではないもの 赤や青や・・がそこに有る
「無いと感じるもの」が
「有るを感じるために必要な 有るもの」ならば
わたしたちは はじめからおわりまで
必要なものはすべて完璧に与えられている
わたしたちは
不足をさがして不幸につなげるが
「足りていないと思うもの」こそが
足るを知るために必要な「有る」ものだ
とすれば
有るものは有り
「無い」と思っているものも
「もっとも祝福された 有るもの」となる
「有る」に気づき 感謝に導き
もっとも幸せに近い道として
「無い」という感覚が 有る
私たちは 常に「有る」世界に在る
わたしたちは それぞれのテーマにとって
最初から 完璧なかたちで
すでに持っている
すべてにおいて
この分離の世界には
つねに もっともよきものが
与えられていた
2012年 震災の年の瀬に
こんなことを書いていました
「ゆめこのひとりごと」~私達は何を選ぶのか~
http://blog.yumekosan.com/Entry/586/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「何を選んだらいいのかわからない」という声を多くききます
・・・・・・
人間の脳は
まだ数パーセントしか開かれていないことを知らなければならない
地球の科学もまた
数パーセントしかもたらされていない
人間が「知っている」と認識できるものは
すでに過去のものだ・・・
さて
大きな変わり目に立って
「未来」を なにを基準にして どう選ぶのか
今までの価値感は 数パーセントの脳の記憶だ
もはや 基準とはならない
ほとんど何もわかっていない私は
長く 広く 深く
私たちを養ってきた地球の意識に指針を見よう
地球が望む方向を 選んで行こう
大空の下の大地には 緑ゆたかな森があり
森の中には 動物たちが元気に暮らしている
彼らを生かす食べ物は 森の中に潤沢にある
大きな木の下には 中くらいの木があり
その下には 小さな木がある
小さな木の下には 草があり
その下には 潤った苔が生えている
その下の土は 微生物によって
ゆたかな栄養をたくわえ
それが樹木を生かし また地下水に溶けて
海の生き物たちのいのちを循環させる
そしてそれが 私たちを養ってきた
地球は誰のものだろう
人間 動物 植物みんなのものだ
そして 誰のものでもない
植物を食べ 動物を食べ
いのちのリレーの最終アンカーとして
人間だけが これからの地球を決定していく
選ぶ権利と義務がある
地球に線を引き 争う時代は終わり
人間同士が 肌の色や 言葉や 宗教や
生き方の価値観で殺し合う時代は終わり
飽食や便利さを求める気持ちが
地球や 他の種に害していることに気づき
少しの我慢と感謝の気持ちで
いのちを育む地球と
いのちの循環のためによりよい方向を選びさえすれば
この地球に私たちは生き残るだろう
闘って勝ち取ったものは さらなる闘いを生んでいく
それは 長い歴史で見てきた
違いをとがめ合うのではなく
共通することに 力を合わせる
地球が 私たちの目覚めを待っていてくれた
地球が 私たちを愛し続けてくれたこと・・・
地球の声が いのちの声
地球が望むことが 今の私の指針です
原発・・地球は なにを望むのだろうか
TPP・・地球は なにを望むのだろうか
憲法九条・・地球は なにを望むのだろうか
領土問題・・地球は なにを望むのだろうか
震災復興・・地球は なにを望むのだろうか
少子化・・地球は なにを望むのだろうか
道路などの老朽化・・地球は なにを望むのだろうか
私たちは なにを選ぶのだろうか・・・
PS.
私たちが「選ぶ権利」を持てたのは
つい最近のことです
「選ぶことができる」
これは すばらしい豊かさです
やっと手にしたこの権利を
闘いや 差別や 分離の方向ではなく
いのちの連鎖 生態系の循環
つながっていく方向に!
どうか無駄にしないでください
・・・・・・・・・・・・・
これからも必ず 「地球さん」の代理人の一人として
投票に行こうと思います
親子の学びがクリアーできたら
あらゆる人間関係がだいじょうぶになる
そのときが きていますね
これは2013.12.12に書いたものです
もう一度読んでいただきたくて再掲載します
「親子のテーマ」
2013/12/12 (Thu)
ひなどりは
誰が近づいても 口をあけるよ
その口に いつも あたりまえに
餌を与え続けるのは 親鳥だけだ・・・
いのちの糧(かて)になるものを口に入れてもらい
出したものを とってもらい
あぶないものをとりはらってもらい
すわり 立ち 歩き・・・
そしてようやく
あなたがたの記憶は始まった
ほとんどの人が そうだね
本当にお世話を受けたときのことは
おぼえていない・・・
記憶は そのあとのことだ
ようやく言葉をおぼえた頃のあなたの感情や思いが
今のあなたの記憶の始まり
それが 今のあなたのさびしさや
苦しい毛玉の芯になっている
その頃のあなたには まだ
学びの途中の親たちが
試行錯誤で子育てをしていることは
理解できなかったね
親たちもまた
つまづきながら 自分をせめながら
あるいは孤独な子育てによって
大きな学びを得ている最中だということも
わからなかっただろう
そう
今のあなたと同じように
子どもにとって 親はいつも
欲しいものを すべて すぐに
「与えてくれるひと」でなければならなかった
あなたも そう願い
あなたの子どもも そう信じているだろう
あなたの親も
自分の子ども時代の願いを その親によって裏切られ
また あなたの願いを叶えてくれなかった親のようにも思われている
あなたもまた
子どもとしての期待を裏切られて
子どもの期待に応えられないことを
また 苦しんでいる
けれど
ひとが本当に何にもできず
すべてを人の手にゆだね
いのちを託しているときの記憶は
ほとんど ない
思い出せない時にこそ
あなたがたは 無償の愛に
手をさしのべられてきた
あなたのおぼえのないときに
あなたは 母に抱かれ 父に祈られてきた
その胸のあたたかさや 母の涙や
父の心配や 笑顔を
あなたは おぼえてはいない
そうでなかったら
あなたは 今ここにいないし
このように大きな学びのチャンスに
恵まれることもなかっただろう
そして あなたもまた
あなたの子どもに
無償の愛をそそいだ時があったからこそ
子どもが ここまで育ったのだよ
今の悩みは
祝福でありさえする
あなたも せいいっぱい
よくやってきた
あなたの親も
その時は いつもそれでせいいっぱいだった
あなたが そうだったように
あなたがいま 自分を責めているように
あなたの親もまた 自分を責めて
あなたに詫びながら どうすることもできなくて
学びの道を ここまで歩いて来たのだよ
あなたといっしょに
あなたの中にある過去は
もう終わったことだ
あるのは
子ども時代のあなたの記憶だ
未熟な先輩たちの 足どりだ
あなたの学びと成長の足どりもまた
子どもたちの「過去」として 記憶されている
過去は 未熟なあなたの
道半ばの人たちへの 記憶にすぎない
未熟さを 責めてはいけないよ
それは 生きている自分を責めていることになる
自分を責めれば
それにふさわしい人生を創ることになる
学び・・・思い出しの道は
未熟だからこそ 完璧なのだ
不完全だからこそ
プロセスとして いつも完全なのだよ
だから 生まれたのだし
だからあなたは あなたの親を選んだのだよ
親の学びと共に
あなたの学びもあり
ともに成長するために
合意しあって 家族となった
いつも 今はそれでいい
お互いに それでせいいっぱい!
そろそろ 記憶をゆるし 手放し
感謝と平和に戻る時が来た
記憶をゆるすとは
その時のそう感じた自分の年齢に戻り
その時の自分の寂しさや 恐怖や 悲しさに共感し
もうそれは終わっているよ と
安心するまで抱きしめてやることだ
そして その年齢から
今の年齢まで もういちど戻ってくるといい
その記憶は
その年齢の 自分から見た記憶にすぎないとわかったら
それによって作られた信念や価値観によって
ずっと制限してきた自分の人生と
心のおもりに苦しんできた今までの自分を抱きしめて
よく がんばって生きてきたと
今の自分を 褒めてやるといい
あなたが ここまで成長するのに
もっともよく働いてくれたのが
あなたの親と家族だ
家族のテーマが克服できたら
人生の人間関係で苦しむことはなくなるよ
「みんなが嫌がる悪役を引き受けてくれて あっぱれ!
いつまでもその悪役をさせないよ
気がつかなくて ごめんね
つらかったね
ほんとうに ありがとう」
これが
あなたが書いたシナリオの最終回だ
フィナーレの花束は もう 用意してある
あなたが生まれた時に
抱き上げてくれた腕があったように
いのちが終わるときもそうだ
もういちど
無償の愛に抱かれるのだよ
安心して
その道を 来なさい