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自宅とは富士山をはさんで反対側の
朝霧高原に私のお墓はあります



こんな富士山にいだかれて
最高ですね

今年はなにか
お墓参りが複雑な気持ち

「今年もおかげさまで
すばらしい年でした

ありがとうございます」と
来られなかった家族の分まで
お線香をあげながら

生前葬を終えた私は
お線香をあげる者なのか
あげられる者なのか

私はどこにいるのかと
不思議な気持ちの墓参りでした♪

どちらにも存在する私を
少しだけ感じました

肉体をお返ししても
やっぱり・・お墓の中には
いないだろうなぁ

例の天使の格好で
プレゼント配達係に応募します♪



いいことがあった時は
私がきっと そばにいるよ

つらいことがあったときも
「これがいいことになるんだよ♪」って
あなたの耳にささやくからね・・・


やっぱり 私は
今 どっちにいる?

いやはや
おもしろいことになったぞ(^v^)







 









Kさんへ
おたずねのA君のことについて私は存じ上げないので、なんとも申し上げられませんが、インディゴ、クリスタル、レインボーチルドレンについて、こんな記事もあります。
興味がおありでしたら、長いですがコピーしてみましたのでゆっくりお読みください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「インディゴ、クリスタル、レインボーチルドレン」

原文:http://www.angeltherapy.com/article1.php


 
 
ドリーン・バーチューは、 "The Care and Feeding of Indigo Children(インディゴチルドレンの養育と食事)" と『クリスタル・チルドレン―感性豊かな愛と光の子どもたち 』(ナチュラルスピリット出版)をはじめ何冊かの著書のなかで、思慮深く経験に富んだ21世紀の賢人ともいえる子供たちについて書いています。ドリーンはまた、きわめて感性豊かな新しい世代の子供たちを紹介する2枚組CDセット "Indigo, Crystal, and Rainbow Children(インディゴ、クリスタル、レインボーチルドレン)" をヘイハウス社から出版しています。

レインボーチルドレンに会いましょう。

レインボーチルドレンとは、私たち人間にある神性や潜在能力というものを具現化して生まれた子供です。地球に生まれてくるのは初めてで、クリスタルチルドレンを両親に選んで生まれてきます。レインボーチルドレンは、誰かを恐れるということがまったくなく、奉仕のために生まれてきたまさに神の化身なのです。

レインボーチルドレンは、惜しみなく与えるためだけに地球へやって来ました。彼らはすでに、霊的に最高の状態に達しています。

クリスタルチルドレンという子供たちもいます。

クリスタルチルドレンを見て、ほとんどの人が最初に気づくのはその「目」です。大きくて、何もかもを見通すような、年齢を超えた賢明さをたたえた目をしています。その目に見つめられると、人は催眠術にかかったようになり、魂の奥底まで、すっかり見通されてしまうように感じます。

おそらくあなたは、この新しい特別な「種」の子供たちが、地球上に急速に増えていることに気づいているでしょう。彼らは楽しく、愉快で、おおらかです。年齢は0歳から7歳ぐらいまでの(訳注:この年齢は著書が出版された年を基準にしており、一般に、クリスタルチルドレンは、1995年以降に生まれているようです)、この新しい世代のライトワーカーたちは、それまでの世代の子供たちとはまるで違っています。クリスタルチルドレンは、多くの点で理想的であり、人類が向かっている方向を指し示してくれています。そして、それは、正しい方向なのです。 

それより年上の子供たち(ほぼ7歳から25歳)を「インディゴチルドレン」といいます。(訳注:同様に、1977年頃から1994年頃の間に生まれているようです)

インディゴチルドレンには、クリスタルチルドレンと共通する特徴があります。どちらも非常に感受性が強く、霊能力があり、重要な人生の使命を担っています。主なちがいは、その気性です。インディゴたちは、もはや役に立たない古い体制を破壊するために生まれてきたため、戦士の気質を持っています。一貫性のない政府や、教育や、法体制を壊すために生まれてきたのです。その目的を達成するために、激しい気性や烈火のような決意が必要なのです。

変化に抵抗し、既存の慣習を大切にしている大人たちは、インディゴチルドレンを誤解することもあります。彼らは、注意欠陥多動性障害(ADHD)や注意力欠如障害(ADD)といった精神疾患の誤ったレッテルを貼られることがあります。

悲しいことに、インディゴチルドレンは薬物治療を施されると、その優れた感受性や、生まれながらのスピリチュアルな資質、戦士のエネルギーを失うことがあります。私は、著書 "The Care and Feeding of Indigo Children(インディゴチルドレンの養育と食事)" のなかで、インディゴチルドレンについて多くのことを書きました。このテーマについては、ヘイハウス社から刊行されている他の2冊の本、リー・キャロル(Lee Carroll)とジャン・トーバー(Jan Tober)共著の『インディゴ・チルドレン』(ナチュラルスピリット出版) と "An Indigo Celebration" もお薦めします。

対照的に、クリスタルチルドレンはいつも至福に満ちていて、情緒が安定して穏やかです。もちろん、たまには癇癪(かんしゃく)を起こすこともありますが、たいていは寛大で、おおらかです。

クリスタルチルドレンは、インディゴチルドレンが開拓した道の標識から恩恵を受ける世代です。まず最初に、インディゴチルドレンが先頭を歩き、一貫性を欠いたものを“なた”を振るって片っ端から刈り倒して行きます。その後、開かれてきれいになった道をクリスタルチルドレンが歩き、より安全で安心のできる世界へと地ならしをするのです。そして今、恐れというものを持たないレインボーチルドレンが、純粋に惜しみなく与える存在として姿を私たちの前に現わし、私たちの願いに応えようとしています。

“インディゴ”、“クリスタル”、“レインボー”という呼び名は、この各世代の子供たちのオーラの色やエネルギーパターンを正確に表しているために、この3つの世代の子供たちに与えられました。

インディゴチルドレンのオーラは、インディゴブルーを多く含んでいます。インディゴブルーは「第三の目」のチャクラの色で、第三の目は、眉間の奥にあるエネルギーセンターです。このチャクラは、クレアボヤンス(透視能力)、つまり、エネルギーや、ビジョン、スピリット(霊)を見る能力をつかさどっています。

インディゴチルドレンの多くがクレアボヤント(透視能力者)です。また、クリスタルチルドレンのオーラは何色ものパステル調の色合いを含み、オパール色(乳白色)に輝いています。この世代はまた、クリスタルや石に興味を惹かれる傾向があります。一方、レインボーチルドレンは、虹のエネルギーを放っています。それは、私たちが健康で調和のとれた状態を保つために持って生まれてきたエネルギーです。

犬が差し迫る危険を嗅ぎ取るように、インディゴチルドレンは不正を感じ取ることができます。インディゴチルドレンは、嘘をつかれたり、おべっかを使われたり、巧みに操られかけたりすると、すぐ察知します。一貫性のある新しい世界へ、私たちを導くことがインディゴチルドレンの集合目的である以上、嘘を発見する能力は不可欠なのです。前述したように、この戦士の気質は、一部の大人たちにとっては脅威です。

また、インディゴチルドレンは家庭や、職場や、学校での、機能不全な状況には適応することができません。彼らは、自分の気持ちをどこかへやって、何事もなさそうなふりをする能力を持ち合わせていないのです。薬物を処方されて、鎮静状態にさせられたとき以外は。

クリスタルチルドレンの天性のスピリチュアルな資質もまた誤解されています。

クリスタルチルドレンにはテレパシー能力があり、そのため、言葉を話し出すのが遅い傾向があります。新しい世界では、私たちは、直観的思考や感情により敏感になり、話し言葉や書き言葉にそれほど頼らなくなります。

心と心で通じ合うようになるため、コミュニケーションは、より速く、直接的で、正直なものになります。すでに、非常に多くの人たちが、自分の霊能力を目覚めさせています。超常現象への興味は、かつてない高まりを見せ、超常現象をテーマにした本や、テレビ番組や、映画などが公開されています。

ですから、インディゴチルドレンに続く世代が、優れたテレパシー能力を備えていることは驚くにはあたりません。クリスタルチルドレンの多くが、話し始めるのが遅く、3、4歳になって初めて言葉をしゃべるというのも珍しいことではありません。しかし、彼らの親たちは、物を言わない子供たちとコミュニケーションするのに、なんの支障もないと言います。ほとんど問題はないのです。

クリスタルチルドレンと親たちは、心と心で直接対話し、クリスタルチルドレンは、テレパシーや、自己流の手話や、歌や音を使って意思を伝えます。

問題が持ち上がるのは、クリスタルチルドレンが、医療や教育関係者によって、 "異常な" 発話パターンを持つと判断されるときです。クリスタルチルドレンの出生数が増えるにつれて、自閉症の診断数が増え、史上最高になっているのは偶然ではありません。

クリスタルチルドレンが他の世代と違っているのは事実です。

しかし、そのような違いを病的なものとみなす必要はあるのでしょうか。その子供たちが家庭で十分コミュニケーションをとれていて、親たちがなんの問題も感じていないのなら、どうしてそれをわざわざ問題に仕立て上げる必要があるでしょうか。

クリスタルチルドレンは、他のどの世代よりも、人とのつながりを好み、話し好きで、思いやりがあり、抱きしめたくなるほどかわいい子供たちなのです。

クリスタルチルドレンはまた、非常に達観していて、生まれつき高い霊性を備え、さらに世の中に対して、まれに見る高い感受性と豊かな思いやりを示します。

クリスタルチルドレンは、抱き締めたり、ケアしてもらいたがっている人を、自発的に抱き締め、思いやりを示します。

著書 "The Care and Feeding of Indigo Children(インディゴチルドレンの養育と食事)" のなかで、私は、ADHDは、Attention Dialed into a Higher Dimension(高次元につながった配慮を持つ人)の略語であるべきだと書きました。その方が、クリスタルチルドレンをより正確に言い表しているのです。

このような子供たちは機能不全のレッテルではなく、畏敬の念を抱くに値します。もし機能不全というものがあるとすれば、人類の進化が継続していることを受け入れないシステムにあるのです。

もしそのような子供たちにレッテルを貼って恥ずかしい思いをさせたり、薬物療法で服従させようとするなら、私たちは天からの贈り物を台無しにしてしまうでしょう。ひとつの文明が根づく前に、壊してしまうのです。しかし幸いにも、前向きな解決法や、別のアプローチがたくさんあります。そして、クリスタルチルドレンを送り込んでくれた天は、そのような子供たちを支持する人たちを支えてくれるのです。

私が初めてクリスタルチルドレンの存在に気づいたのは、世界中を旅しながら天使についてのワークショップを行なっていたときのことです。クリスタルチルドレンの目と、魅力的な人柄に気づきました。私はクリスタルチルドレンと心と心で会話し、彼らが私の無言の質問に答えを返すのがはっきりわかりました。私が心のなかで送った褒め言葉に、微笑みを返して応えてくれたりもしました。この子たちは、私の考えを "聞く" ことができるのだ、と私は気づいたのです。

それから数年間、私は、"The Care and Feeding of Indigo Children(インディゴチルドレンの養育と食事)" を執筆するため、子供や親たちにインタビューしました。私は、人間の行動に何らかのパターンを見い出すことに魅力を感じていたのです。それぞれがユニークな形をしている雪の結晶のように、同じものは二つとしてないのですが、その雪の結晶にも共通点があります。インディゴチルドレンには、すでに述べたような特徴を見つけました。クリスタルチルドレンに関しては、調査はより興味深い展開を見せました。

幼いクリスタルチルドレンに会うと、私はいつも一人一人の子供に夢中になってしまいました。

クリスタルチルドレンの心は、私が対話してきた天使と同じようにオープンで、愛に満ちていました。彼らはあけっぴろげで、気取りがありません。クリスタルチルドレンのことを考えながら眠りにつくと、眠っている間にスピリットの世界から(あるいはクリスタルチルドレン自身から)多くの情報が送られて、翌朝目覚めたということがよくありました。

毎朝目が覚めると、クリスタルチルドレンに関して、前の晩には知らなかったことを知るようになっていたものです。私はクリスタルチルドレンについて講演するようになり、聴衆もそれをすんなり受け入れてくれました。聴衆の多くは、こうした子供を持つ親であり、祖父母であり、そのような子供たちを教える教師でした。彼らは、私が子供たちの特徴を描写すると、すぐに納得し、理解してくれました。

私は、講演会の参加者や私のニューズレターの購読者に、クリスタルチルドレンに関するアンケートに答えてくれるように頼んだところ、たった一日で、何百もの回答が寄せられました。『クリスタルチルドレン』を執筆するために、私は、こうした素晴らしい子供たちを育てたり、教えたりした人々から寄せられた何百ページにもわたる文書に目を通しました。

調査結果を振り返っていたとき、ふたつの出来事が起こりました。ひとつは、私の心が愛と感謝でいっぱいになったことです。送られてきた話をただ読んでいるだけで、力強い天使の前にいるような感動を覚えたのです。

このような驚くべき子供たちが、この惑星に存在しているという事実に、私はほとんど陶酔感にも似た幸せを感じ、私たちの集合的未来は大丈夫だという自信を持ちました。もし私たち人類が文明の、あるいは惑星の最終行程を生きているとすれば、神はこのような特別な人類を地球に送り込むことはしなかったでしょう。

人類は、猿のような姿勢から進化してきたように、クリスタルチルドレンは、私たち人間が継続的に進化していることの具体的な証なのです。

ふたつ目の出来事は、アンケート回答者の間に、クリスタルクリアな(非常に明瞭な)パターンがあるのを発見したことでした。例えば、クリスタルチルドレンと、動植物や、石や、年配の人々との関係について多数の似通った話を読みました。また、クリスタルチルドレンは親との言葉によるコミュニケーションを意図的に避けながらも、テレパシーを通じて心を通わせているという、共通して見られる多くの謎めいた話に夢中になりました。

多くの親たちがこう言いました。「私の子供は、インディゴチルドレンの説明にはしっくりこないものを感じるのですが、クリスタルチルドレンの描写を読んで、まさにその通りだと思いました」と。親たちの大半が、クリスタルチルドレンたちとの関係に問題はなく、満足していると言いました。

世界中の親や祖父母が、彼らのクリスタルチルドレンのことを「エンジェル」、「人生でいちばん愛しい人」、「真の喜び」などと呼ぶという話も聞いています。また、霊的感受性が高いのはクリスタルチルドレンだけでなく、その親たちも同様に霊的感受性が高いことに気づきました。

クリスタルチルドレンの魂は、スピリチュアリティ(霊性)を育めるような環境で育ててくれる両親を選んで生まれてきたのは明らかです。ときには、霊的に目覚めていない親を持つクリスタルチルドレンにも出会いましたが、この場合は、祖父母が進化したライトワーカーで、クリスタルチルドレンのスピリチュアルな知識と才能を保護し、磨きをかけるのを助けています。

クリスタルチルドレンが、あふれんばかりに愛情豊かで、親切であるとはどういうことかを教えてくれる素晴らしいスピリチュアルティーチャー(霊的教師)であると、ほとんどの親たちが口を揃えていいます。

ある日、私は、オーストラリアのシドニーで、クリスタルチルドレンについて講演していました。休憩時間に、私の著書を販売してくれていた出版社の人がこう言いました。
「みなさんが、クリスタルチルドレンの本を買いたいとおっしゃるのですが、いったいどういう本なのですか?」
私は笑って、そんな本はないわ、私は、インタビューやチャネリングを通じて得た情報を話しただけよ、と言いました。すると出版社の人は「そうですか。でもみなさんは、明らかにその本をほしがっていますから、書いてくれませんか?」と言ったのです。私は何のためらいもなく「ええ、もちろんですとも」と言いました。こうして生まれた私の著書『クリスタル・チルドレン』は、書店や、インターネットで購入していただけます。

また、新しいウェブサイト www.TheCrystalChildren.com を立ち上げました("CrystalChildren" の前に "The" を忘れないように)。このサイトでは、クリスタルチルドレンに関する記事とともに、掲示板を設け、クリスタルチルドレンや、親、祖父母、先生方が情報を交換しながら互いに支え合える場を提供しています。

これまで述べてきた子供たちは、私たちの祈りに対する答えです。

クリスタルチルドレンのなかには大人になった人もいて、今、新たにレインボーチルドレンが生まれています。そのようなレインボーチルドレンの親たちは、少し早く地球にやって来て、現在二十代を迎えている、少数の大人のクリスタルチルドレンです。私たちが体内でセロトニンを同化吸収するのに必要な光の全域が狭まったことから、レインボーチルドレンが登場したのです。言い換えれば、スモッグのない晴れた日に戸外に出かけ、太陽の陽射しを浴びるとき、私たちは、太陽の光を通じて「レインボーエネルギー」を体内に取り込んでいます。私たちは、そのように、生まれつきレインボーエネルギーが必要なのです。
私たちアース・エンジェルや、ライトワーカー、インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、レインボーチルドレン、そしてその後に神や女神が送り込んでくれるであろう世代もみな、ひとつのチームとして、この地球で共に働いています。平和を実現するためにここにいるのです。そして、私たちはそれを成し遂げることができるのです。

転載元サイト
http://doreen.jp/angelguide/007children.html




「親子のテーマ」
2013/12/12 (Thu)


ひなどりは
誰が近づいても 口をあけるよ

その口に いつも あたりまえに
餌を与え続けるのは 親鳥だけだ・・・


いのちの糧(かて)になるものを口に入れてもらい
出したものを とってもらい
あぶないものをとりはらってもらって
すわり 立ち 歩き・・・

そしてようやく 
あなたがたの記憶は始まった
ほとんどの人が そうだね

本当にお世話を受けたときのことは
おぼえていない・・・

記憶は そのあとのことだ
ようやく言葉をおぼえた頃のあなたの感情や思いが
今のあなたの記憶の始まり

それが 今のあなたのさびしさや
苦しい毛玉の芯になっている

その頃のあなたには まだ
学びの途中の親たちが
試行錯誤で子育てをしていることは
理解できなかったね

親たちもまた
つまづきながら 自分をせめながら
あるいは孤独な子育てによって
大きな学びを得ている最中だということも
わからなかっただろう

そう 
今のあなたと同じように

子どもにとって 親はいつも
欲しいものを すべて すぐに
「与えてくれるひと」でなければならなかった

あなたも そう願い
あなたの子どもも そう信じているだろう

あなたの親も
自分の子ども時代の願いを その親によって裏切られ
また あなたの願いを叶えてくれなかった親のようにも思われている

あなたもまた
子どもとしての期待を裏切られて
子どもの期待に応えられないことを
また 苦しんでいる

けれど
ひとが本当に何にもできず
すべてを人の手にゆだね
いのちを託しているときの記憶は
ほとんど ない

思い出せない時にこそ
あなたがたは 無償の愛に
手をさしのべられてきた

あなたのおぼえのないときに
あなたは 母に抱かれ 父に祈られてきた
その胸のあたたかさや 母の涙や
父の心配や 笑顔を
あなたは おぼえてはいない

そうでなかったら
あなたは 今ここにいないし
このように大きな学びのチャンスに
恵まれることもなかっただろう

そして あなたもまた
あなたの子どもに
無償の愛をそそいだ時があったからこそ 
子どもが ここまで育ったのだよ
今の悩みは
祝福でありさえする

あなたも せいいっぱい
よくやってきた

あなたの親も
その時は いつもそれでせいいっぱいだった
あなたが そうだったように

あなたがいま 自分を責めているように
あなたの親もまた 自分を責めて

あなたに詫びながら どうすることもできなくて
学びの道を ここまで歩いて来たのだよ
あなたといっしょに


あなたの中にある過去は 
もう終わったことだ

あるのは 
子ども時代のあなたの記憶だ 

未熟な先輩たちの 足どりだ

あなたの学びと成長の足どりもまた 
子どもたちの「過去」として 記憶されている


過去は 未熟なあなたの
道半ばの人たちへの 記憶にすぎない

未熟さを 責めてはいけないよ
それは 生きている自分を責めていることになる

自分を責めれば
それにふさわしい人生を創ることになる 


学び・・・思い出しの道は
未熟だからこそ 完璧なのだ

不完全だからこそ 
プロセスとして いつも完全なのだよ

だから 生まれたのだし
だからあなたは あなたの親を選んだのだよ

親の学びと共に 
あなたの学びもあり

ともに成長するために
合意しあって 家族となった


いつも 今はそれでいい
お互いに それでせいいっぱい!



そろそろ 記憶をゆるし 手放し
感謝と平和に戻る時が来た

記憶をゆるすとは
その時のそう感じた自分の年齢に戻り
その時の自分の寂しさや 恐怖や 悲しさに共感し 
もうそれは終わっているよ と
安心するまで抱きしめてやることだ

そして その年令から
今の年齢まで もういちど戻ってくるといい

その記憶は 
その年齢の 自分から見た記憶にすぎないとわかったら

それによって作られた信念や価値観によって 
ずっと制限してきた自分の人生と

心のおもりに苦しんできた今までの自分を抱きしめて

よく がんばって生きてきたと 
今の自分を 褒めてやるといい

あなたが ここまで成長するのに
もっともよく働いてくれたのが
あなたの親と家族だ

家族のテーマが克服できたら
人生の人間関係で苦しむことはなくなるよ


「みんなが嫌がる悪役を引き受けてくれて あっぱれ!

 いつまでもその悪役をさせないよ

 気がつかなくて ごめんね 

 つらかったね

 ほんとうに ありがとう」


これが 
あなたが書いたシナリオの最終回だ



フィナーレの花束は もう 用意してある



あなたが生まれた時に 
抱き上げてくれた腕があったように

いのちが終わるときもそうだ

もういちど 
無償の愛に抱かれるのだよ


安心して

その道を 来なさい








種(しゅ)を超えて
本当は はじめから垣根がない世界・・・

そういえば
こんなプレゼントをもらったこと 
おもいだしちゃった

ずっと前に
友人の家を訪ねたとき
家の裏に湖が広がっていた

翌朝 湖のほとりにすわっていたら
遠くにいた白鳥の群れの中から
大きな一羽が近づいてきて
水から上がり・・私のとなりにすわって
私にからだをあずけてきたことがあった

私も白鳥にもたれて
羽根の中にぬくぬくと埋まりながら
彼?彼女?が 
長い首を伸ばして真正面から私をみつめて
「それからどうしたの?」と
話の先をうながしてくれた

どれくらいそうしていたのか・・
あれは 夢のような時間だった


またある時は
「富士山こどもの国」に勤めるのが今日で最後という日
園内の駐車場から門に向かう道で
はじめて野生の鹿に出会った

2頭の鹿が 私の車の前に立って
私の車を止めた
「おいで」というので
エンジンをかけたまま
ドアもあけたままついていったら
他の三頭が待っていた

5頭と私の 計6頭?で まあるくすわって
それからの時間は どれくらいだったのだろう

「今日が最後だから 姿を見せてくれたの?」と私が言うと
「四年間 おつかれさま
 今から私たちは あなたが大好きな
 街のゲートの前のあの丘の上から
 あなたを見送ります。」と言ってくれた

「ありがとう」と言って車に戻りながら
私はすぐに まだ事務所に残っている課長に
「街のゲートの前の丘を見てください。
 今から5頭の鹿が上がりますよ。」と電話した

彼らは まるでトナカイの絵のように
いっせいに丘にかけ上がっていった

「ああ 鹿が・・。見える見える・・5頭いるね~!」
という課長の興奮した声を聞きながら
私は胸がいっぱいなまま 子どもの国をあとにした


(あとから課長から「今から鹿が上がる、なんてどうしてわかったの?」と聞かれたのには
 「鹿がそう言ったんです」というシカなかったけれど・・)

私たちは 最初から
そういう世界にいます

人間だけが 区別しているのかも









                     (今日の空の写真です)

[なんにも無い]は [すべて有る]こと
2015/12/27 (Sun)


雲をみるのか

空を見るのか・・・


雲がなんにもないと思うのか
空だらけと思うのか

無いほうを見るのか
有るほうを見るのか

しあわせって

ものの見方のクセですね (*^-^*)








ILLUSTRATION BY nyao nyaoチャ箱♪  
Copyright © Yumeko All Rights Reserved.


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